線路を歩こう。

東京都水道局小河内線

その 1 「奥多摩湖バス停→第一板小屋隧道東側坑口」

 


 今年 (2009 年) の桜は寿命が長くて、3 月 21 日に開花宣言してから 3 週間も経つというのに、東京の桜はまだ咲いています。特に都心より少し咲くのが遅い多摩西部では、木によっては満開のものもかなりあります。気温もだいぶ上がってきたので、草木が伸びて藪がひどくなる前に、妻と一緒に廃線歩きをしに奥多摩まで行ってきました。
 「線路を歩こう。」の第 3 弾は、東京都水道局小河内 (おごうち) 線、通称「水根貨物線」です。

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 まずは小河内線の歴史を簡単に紹介します。
 羽村山口軽便鉄道のレポートでも少し触れましたが、近代の東京では、爆発的な人口増加によって水不足が深刻な問題になっていました。渇水期にも安定的に給水できるよう、「東京市第一水道拡張事業」として大正末期から昭和初期にかけて村山貯水池や山口貯水池が造られましたが、それでも急増する水需要には追いつかないため、多摩川上流に大貯水池を設け、東村山浄水場に送水することが決まりました。これを「東京市第二水道拡張事業」といいます。
 計画当時、日本で最も高いダムは 76m で、世界的にもアメリカ以外に 120m を越えるダムは存在しませんでしたが、西多摩郡小河内村 (当時) に建設されることになったダムは何と高さ 149m。東京市水道局 (以降東京都水道局と表記) としてはもちろん、国家的にも大プロジェクトであったろうことが容易に推察できます。

 小河内貯水池は 1938 (昭和 13) 年に建設が始まりました。戦争や社会紛争による一時中断を経て、1952 (昭和 27) 年にはダム堤体のコンクリート打ちに使用する大量のセメントや骨材を運搬するため、氷川駅~水根駅 (6.7km) に専用鉄道が敷設されました。これが今回紹介する小河内線です。
 氷川駅 (1971 年 2 月に奥多摩駅に改称・以降は原則として奥多摩駅と表記します) ~ダム堤体建設現場は水平直線距離で 4.5km ほどですが、多摩川上流にダム建設資材を運ぶという小河内線の役割上、終点駅はなるべく高い所に作る必要がありました。このため奥多摩駅を出た線路は、栃久保と呼ばれる集落を大きくループするなどして距離を稼いでいますが、起点と終点の高度差が 170m もあるため、最急勾配が 30‰にもなってしまいました。

 小河内線の建設は東京都水道局から委託された国鉄が実施し、建造物は国鉄規格で作られました。そのため軌間は国鉄在来線と同じ 1,067mm で、丙線規格の路盤となっています。完成後は東京都水道局が直轄で保守や運転を行いました。30‰という過酷な勾配に加え、隧道や急曲線が連続するため、劣悪な労働条件を懸念した国鉄労組が運転を請け負うことに反対したそうです。
 今回線路を歩いていたら、確かに隧道内にも 30‰の勾配標がありました。貨物満載でこの勾配だと、小河内線で使用していた C11 形蒸気機関車では自転車程度の速度しか出ないでしょうし、空転でも起こして止まろうものなら、起動不可となってバックするほかありません。もたもたすれば乗務員が酸欠で倒れてしまいます。
 以下に小河内線の路線図を掲載します。縮小しているので見づらいですが、画像をクリックすると、別ウインドウまたは別タブで大きな地図を表示します。赤い線が地上区間 (橋梁含む) で青い線が隧道です。疎水隧道は緑色です。


小河内線路線図
↑小河内線路線図。画像をクリックで大きな地図を表示します (1.97MB)。


 小河内貯水池は 1957 (昭和 32) 年 11 月に竣工しました。遡ること同年 7 月に湛水が開始され、5 月には資材運搬を終えた小河内線が運転休止になっています。
 上記のように、小河内線はダム建設資材運搬のために敷設されましたが、将来ダム湖 (奥多摩湖) が観光拠点になることを目論んで、旅客鉄道に転用できるよう最初から電化規格で造られています。1963 (昭和 38) 年に、観光開発に長けた西武鉄道に路線休止のまま譲渡されましたが、都民の重要な飲用水源である奥多摩湖周辺の開発が禁止されたため、1978 (昭和 53) 年には奥多摩工業に再譲渡され現在に至っています。路線はあくまで休止で、廃止ではありません。
 奥多摩工業 (株) は、戦前は奥多摩電気鉄道 (株) という社名で、現在の JR 青梅線の御嶽~奥多摩の鉄道敷設を行っていました。完成間近の 1944 (昭和 19) 年に事業免許を国に譲渡したため、その 3 ヶ月後に同区間は国鉄青梅線として延長開業しています。現在、奥多摩工業は石灰石関連製品の製造や販売を行っていますが、30 年以上もの間小河内線を塩漬けにしておく理由は不明です。ハイカーで賑わう休日はまだしも、平日は青梅線 (青梅以西) ですら超閑散線区なので、まさか小河内線で鉄道事業に再参入しようなどとは考えていないでしょう。いずれ新しい採石場を開発した時に、運搬用の曳索鉄道でも通すつもりなのかも知れません。

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 今回の探訪区間は隧道ばかりなので、紹介する写真も単調です。また、同じ理由で上空から俯瞰しても見えないため、航空写真もほとんどありません。写真を並べてコメントを入れただけのレポートになってしまいました (迂回等により撮影日や時刻が前後している場合があります)。探訪中の現在地点の把握については、隧道が多かったため携帯電話のナビ機能が使えず、不正確な箇所があると思います。ご了承ください。
 例によって、本文では小さなサムネイル写真 (320 × 240 ピクセル) をクリックすると、別ウインドウまたは別タブで大きな画像 (1,024 × 768 ピクセル) を表示します。コメントの最後にある [MAP] をクリックすると、撮影地点の地図を表示します。動画もいくつかありますので、最新のブラウザでご覧ください。
 探訪は 2009 年 4 月 11 日 (土) と 4 月 16 (木) の 2 回に分けて行いました。本文の背景色でどちらの日に撮影した写真か分かるようにしています。

2009 年 4 月 11 日 (土) 撮影 2009 年 4 月 16 日 (木) 撮影

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参考文献・出典

■小河内ダム  東京都水道局  1955 (昭和 30) 年
■小河内ダム写真集  東京都水道局  1957 (昭和 32) 年
■小河内ダム竣工 50 年の歩み  東京都水道局浄水部管理課  2007 (平成 19) 年
■多摩のあゆみ (第 87 号)  財団法人たましん地域文化財団  1997 (平成 9) 年
■目で見る西多摩の 100 年  郷土出版社  1995 (平成 7) 年
ダム便覧  財団法人日本ダム協会
土木図書館デジタルアーカイブス  社団法人土木学会



注意

 小河内線の路盤は全線に渡ってほとんどすべての施設が比較的良い状態で残っていますが、非常に険しい地形ため危険箇所が多く、不用意な探訪はお勧めしません。私が歩いている時にも落石が数回ありました。また、一部の橋梁は高所に架かっている上に枕木が腐っているので、絶対に渡るべきではありません。自分は渡ったくせにと思われるでしょうが、転落した場合は間違いなく死にます。私は渡ってしまったことを深く後悔しており、もう二度と渡りません。



奥多摩湖バス停→第一板小屋隧道東側坑口
奥多摩湖バス停→第一板小屋隧道東側坑口地図



001  2009 年 4 月 11 日 (土)、拝島発 4:59 →奥多摩着 6:00 →奥多摩駅発 6:05 という始発のスジを乗り継いで、奥多摩湖バス停に到着。水根駅跡は一つ手前の水根バス停が最寄りですが、せっかくなので奥多摩湖を拝んでから出発。乗り継ぎが良すぎてトイレに行く暇もなかったので、こちらも済ませておきました。
 なお、諸般の事情により、一部区間は 4 月 16 日 (木) に再訪した時の記録を基に紹介しています。
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 いきなり猿発見! ここから水根駅までは猿の巣窟でした。観光客が餌を持ってやってくるのを待っているのでしょうか。 002
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003  水根駅跡です。「水根積卸場」としている文献もあります。竣工当時の小河内貯水池は、水道用の貯水池としては世界最大規模だったそうですが、その建設資材運搬の拠点駅としてはずいぶん小ぢんまりしています。早朝で、しかも東向きなのでもろに逆光です。ここから小河内線探訪の始まりです。
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現役時代の水根駅
↑現役時代の水根駅。C11 形蒸気機関車がタキ 2200 を牽引しています。
機関庫のように見えるのはポケットで、その下からベルトコンベアが出ています。



 石灰石の山を過ぎると枯れ藪になりました。もう少し経つと草が伸びて歩くのが大変になります。踏み跡が残っているので、レールがなくても辿るのは容易です。 004
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005  打ち捨てられていたレール。奥多摩工業の資産だと思うので、一応「保管」ということになるのでしょうか。
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 藪の向こうに忽然と現れた鉄橋と隧道。逆光なので神秘的に見えました。 006
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007  早朝で太陽が低いので、どうにも逆光を避けることができません。この鉄橋は第二水根橋梁というそうです。レールは外されていますが、材木が敷き詰められていて、渡るのは容易でした。下路プレートガーダー橋は、小河内線ではここが唯一だと思います。ほかの橋梁はすべて沢や川に架かっていますが、この橋だけは国道を跨ぐので、高さ確保のため下路式にしたんだと思います。この先、隧道はすべてチェックしましたが、橋梁にはあまり関心を持たなかったので、漏れや抜けがあるかも知れません。
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 初めての隧道は短めの水根隧道です。太陽を避けて撮影しました。資料がないため隧道の長さは現在のところすべて不明です。Google の距離測定ツールでは、約 40m と表示されます (以降すべて同じ方法で測定しましたが、正確ではありません)。 008
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009  水根隧道の東側坑口。
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 水根隧道の扁額。隧道名・施工・竣工年が書かれたシンプルなものです。延長が書かれていないのが痛い・・・。 010
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011  少し進むとコンクリートの第一水根橋梁が現れます。ぱっと見だと右下の道路と交差しているようですが、地図を見ると並行道路であることが分かります。この橋はガレ沢っぽい所を渡っています。
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 枯れ木の先に次の隧道が見えてきました。草木で分かりにくいですが、まだ橋の上です。 012
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013  これは中山隧道。左から合流している小径は「奥多摩むかし道」と呼ばれる散策路の迂回路です。本来の奥多摩むかし道は浅間神社を通る山道なのですが、2005 (平成 17) 年に土砂崩落が発生し通行不能になったため、復旧までの 1 年半ほどの間、中山隧道をくぐる迂回路が設定されていました。私は 2006 (平成 18) 年 3 月に奥多摩むかし道を散策したのですが、その時はたまたま迂回路に指定されていた期間だったので、坑内に電灯がともされていました。現在も一般に開放されているのかどうかは不明ですが、電灯は撤去されています。
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2006年3月の中山隧道
↑2006 年 3 月に訪れた時の中山隧道。この時は照明がついていました。



 中山隧道の中です。散策路になっていたせいか、ほかの隧道よりもバラストが均一に敷き詰められていて、割と歩きやすいです。そのバラストは、現用の鉄道に見られるような角張った石ではなく、滑らかな丸い石でした。小河内線の現役当時は川砂利の採取が盛んに行われていたので、このバラストも多摩川から持ってきたのかも知れません。なお、隧道内の現在地 (下の [MAP] で表示される位置) は、前後の写真の撮影時刻などから推定しました。ナビが使えないので・・・。 014
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015  中山隧道の東側坑口。中山というのはこの辺の集落の名前のようです。延長は約 470m と表示されます。一時は散策路になっていた割に、小河内線の中ではこの中山隧道が最も出水が多く、状態が悪いように思いました。このまま長い時間が経てば崩落するかも知れません。
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 中山隧道の扁額。 016
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017  中山隧道を出ると築堤がありました。奥多摩むかし道だった部分は柵で区切られていて、左側の階段で下に降りるのが正しいコースです。ちなみに奥多摩むかし道の大部分は旧青梅街道ですが、この辺りは迂回路なので当然違います。
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 3 年前に訪れた時は大人しく順路に従いましたが、今回は線路を歩くのが目的なので、ひたすらまっすぐ進みます。次に見えるのは第二桃ヶ澤隧道です (隧道名の漢字は扁額の表記に従っています)。 018
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019  第二桃ヶ澤隧道の内部。コンクリートで巻かれた内部はとてもきれいで、休止してから 50 年以上経つとは思えません。かつては通信ケーブルが張られていたのでしょうが、これはただのワイヤーのようです。
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第二桃ヶ澤隧道の東側坑口。長さは約 155m と表示されました。 020
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021  第二桃ヶ澤隧道の扁額。
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 先に見えるのは第一桃ヶ澤隧道の西側坑口。その手前に桃ヶ澤橋梁があるのですが、草木が生えているので築堤のように見えます。 022
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023  水根方向に振り返って第二桃ヶ澤隧道の東側坑口を撮影。
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 先に進むと第一桃ヶ澤隧道が近づいてきました。出口の見えない隧道に入るのは気が重いのですが、今回は高性能の LED ライトを持参したので平気です。 024
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025  第一桃ヶ澤隧道の内部。この隧道だけではありませんが、時々このようにコンクリート巻き立てを切り欠いて、岩肌が露出している部分があります。恐らく湧水を逃がすためではないかと思いますが、小河内線の隧道はすべて逆巻工法を取ったそうなので、あるいは側壁のコンクリート打ちを端折ったのかも知れません (逆巻工法では上半分のアーチ部分を先に掘ってコンクリートを巻き、そのあとで下半分に取りかかります)。たぶん地質がいいのでしょう。
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 第一桃ヶ澤隧道東側坑口。長さははっきりしませんが、120m ぐらいだと思います。 026
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027  第一桃ヶ澤隧道の扁額。
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 水根方向に振り返って第一桃ヶ澤隧道の東側坑口を撮影。天気がいいので、順光だとこのようにコントラストの高い写真になります。 028
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029  写真には写っていませんが、左側に小さなスペースがあって、その山肌にはかつて段々畑だったと思われる痕跡も残っています。もしかしたら作業小屋でも建っていたのかも知れません。杉だらけの山にあって、珍しく楓が植わっていました。奥多摩に自生する、いろは楓の一種だと思います。次の隧道は清水隧道です。
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 隧道に入る前に立ち止まってレールを撮影。ボンド線はついていませんでした。小河内線は単線で、途中に交換設備もなかったようなので、無閉塞運転をしていたのかも知れません。 030
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031  清水隧道東側坑口。長さは分かりませんが、200 ~ 250m 程度だったと思います。
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 清水隧道の扁額。 032
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033  あれ? 道がない。
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 あらら、途切れてる・・・。この部分には清水疎水隧道というのがあったらしいのですが、もしそうなら土手を盛ってあるはずです。土砂災害で崩壊したか、あるいは写真に見える水路建設の邪魔になるので撤去されたのかも知れません。ちなみに疎水隧道というのは大きな暗渠のようなもので、水路のほかに人道や車道を併設することもあります。線路が隧道をくぐるのではなく、線路の下に隧道があるわけです。 034
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035  考えていても仕方がないので、下に降ります。妻もこの程度の斜面なら余裕でついてきます。写真は清水隧道東側坑口を見上げたところ。
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 涸れた水路に丸太が一本。当然水路に降りて渡りました。この水路は沢そのものの位置にあってかなり急勾配です。また、写真でも分かるように、すぐ上で石垣が途絶えてガレ沢になっています。あくまで推測ですが、この水路は土石流対策の護岸工・床固工ではないでしょうか。そして存在したはずの築堤は、単に施工の邪魔になるからか、あるいは土石流が発生した時に疎水隧道に滞留して被害が大きくなる可能性があるので、撤去されたのだと思います (実際に土石流が発生したのかも知れません)。もしそうなら下に砂防堰堤があると思いますが、この場ではそこまで確認しませんでした (追加情報はこちら)。 036
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037  渡り終えて水根方向を振り返ってみました。朝日が当たってまぶしいくらいです。きれいに路盤が消えている理由を色々想像してみましたが、やはり真実が知りたいです。1974 (昭和 49) 年の航空写真にも線路らしきものは写っていないので、それ以前に撤去 (あるいは崩壊) したものと思われます。
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 次の隧道は第二板小屋隧道。 038
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039  第二板小屋隧道東側坑口。この隧道はごく短くて、延長 45m と表示されます。
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 第二板小屋隧道の扁額。 040
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041  すぐに第一板小屋隧道へと続きます。
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 第一板小屋隧道です。小河内線は起点~終点の高低差 176m を、なるべく「緩い勾配で、距離を短く、長大隧道のないように」という無理な条件で敷設されたそうです。そのため隧道と橋梁のとても多い路線です。確かにその方が工期は短くて済みますが。 043
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044  第一板小屋隧道の東側坑口。延長は約 80m と表示されます。
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 第一板小屋隧道の扁額。 045
[07:45] [MAP]


─ その 1 「奥多摩湖バス停→第一板小屋隧道東側坑口」 ─
─ その 2 「第一板小屋隧道東側坑口→第五小留浦隧道東側坑口」 ─
─ その 3 「第五小留浦隧道東側坑口→第二氷川隧道北側坑口」 ─
─ その 4 「第二氷川隧道北側坑口→奥多摩駅 (おまけつき)」 ─


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