第二氷川隧道北側坑口を水根方向に振り向いて撮影。隧道内は精神的にきつかったので、坑口で煙草を吸いながら10分ほど休憩しました。当初の予定では、第二氷川隧道をくぐらずに、日原街道を回って、写真右側の梯子を降りてくるつもりでした。この日(4月16日)妻を伴わなかったのは、一緒に梯子を降りるのは無理と判断したからです。しかしこの日は諸般の事情により、梯子を使うことができませんでした。
いよいよ小河内線のクライマックス「日原川橋梁」を渡り始めます。延長100.1mのコンクリートアーチ橋で、ほかの桁橋とは一線を画す工法です。写真では分かりにくいですが、ものすごく高いです。プレートガーダー橋だったら怖くて渡れなかったと思います。
上の写真と同じ地点から日原川を見下ろします。向こうの山肌にも小河内線のコンクリート橋が見えます。あそこまで半径200m(日原川橋梁は210m)の急カーブで繋がっています。橋の上は付近から丸見えなので、撮影が済んだらそそくさと渡ります。
地上から見上げた日原川橋梁。かなり高いことも、渡るととても目立つことも、よく分かります。
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↓日原川の鱒釣り場から撮影した日原川橋梁。
橋梁の後半は背の高い雑草がなくなって見通しが良くなりました。
何だか民家の敷地に突入している感じですが、線路端に住む人が軌道敷を庭として使っているもので、払い下げられたわけではないと思います。こういう風景は休廃止線跡にはよく見られます。こういう所に住んで庭をいじったり、犬猫と戯れたりできたら、きっと私は一生幸せです。
ちょっと失礼して通させてもらいます。レールがプランター代わりに使われているのもよく見かけます。土が流れ出さないので具合がいいようです。
民家を過ぎたところで氷川方向を振り返って撮影。望遠側で撮影するとカーブの様子が分かります。洗濯物までカーブしています。
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↓日原川橋梁を行く貨物列車。C11+タキ2200+ホキ3500のようです。
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↓日原街道から見た日原川橋梁。1955年ごろだと思います。
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↓上の写真と同じアングルで撮影してみました(4月16日)。
民家から少し進むと一旦レールがなくなります。枕木は犬釘が刺さったままで残っていました。青梅線に石灰石輸送の貨物列車が走っていたころ、ここは余剰貨車の留置場になっていたようで、1986年ごろには荒廃したホキ34200の姿が、1998年に貨物列車が廃止されてからしばらくの間は、 ホキ2500やホキ9500の姿が記録されています。
奥多摩工業氷川工場です。宮崎駿のアニメに出てくるような建物です。増築に増築を重ねた結果だと思いますが、全体を把握している従業員って存在するんでしょうか。
次の隧道が見えてきました(実は第二氷川隧道を出た時から見えています)。
最後の隧道、第一氷川隧道です。ここから先は奥多摩工業が操業中なので、厳重にバリケードがしてあります。高さは2.5mぐらいで、よじ登る方法もなくはないのですが、目立つ場所なので大人しく迂回しました。
第一氷川隧道東側坑口。前の日に雨が降ったせいか、中は湿っていました。
第一氷川隧道の扁額。埋まっていたので掘り出しました。
第一氷川隧道を出て少し進むと第一氷川橋梁が見えてきます。これが最後の橋梁です。
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↓第一氷川隧道~第一氷川橋梁の間です。
日当たりが悪くて暗いです。4月16日撮影。
今まで散々怖い思いをさせられたプレートガーダー橋ですが、作業通路になっているのか、ここだけは良く整備されています。渡ることに恐怖はありませんが、この先は明らかに囲繞地であり、操業中の工場に入り込むのも気が引けるので、ここで引き返すことにしました。
最後に望遠で撮影。
線路を歩くのは終わりにして、奥多摩駅に戻ります。日原川の対岸から第一氷川橋梁が見えました。樹木に隠れていますが、橋の左側に第一氷川隧道があります。
第一氷川橋梁の北詰はプレートガーダー橋でしたが、そのままコンクリート橋へと続いています。小河内線の現役時代に、このコンクリート橋部分で土砂崩れがあり、列車が転覆して機関士をはじめ同乗していた職員6名が亡くなったそうです。のちの調査で事故現場の写真も見つかりました。
日原川を渡る道路橋(北氷川橋)の上から小河内線を望みます(わずかしか見えませんが)。手前が奥多摩駅側です。
ようやく奥多摩駅にたどり着きました。土曜日なので201系の「四季彩」が来ていました。
奥多摩駅。2009年4月11日(土)の探訪はこれでおしまいです。
奥多摩駅のホームから水根方向を向いて奥多摩工業のプラントを撮影しました。1998年に奥多摩駅の貨物取扱(石灰石)が廃止されるまでは、写真右側の道路スペースに何条もの線路が敷かれていました。小河内線の本線は、写真中央に小さく写っているフォークリフトの右横あたりを通っていたようです。
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↓小河内線現役時代の氷川(奥多摩)駅。小河内線の本線は左端だと思います。中央のダブルスリップは貨物取扱が廃止されるまで使われていました。
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↓1994年3月5日。工場は大変貌していますが、構内配線は変わっていません。この写真は「鉄道写真・今昔」様の許諾を受け転載させていただきました。
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↓2009年4月23日。上の写真とだいたい同じアングルだと思います。とにかく変化の多い工場なので、線路がないと位置の特定も難しいです。
青梅方向を向いて撮影。かつて貨物列車が発着していた場所にはダンプカーが入っています。輸送方法は変わりましたが、目的は変わっていないわけです。これで今回のレポートは終了です。
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