②八瀬大橋→赤間川

八瀬大橋を渡って、安比奈駅方向を振り向いて撮った写真。こちらはコンクリート擁壁が垂直に切り立っています。たぶんあとから歩道を取り付けたのだと思います。外したレールが打ち捨られていますが、これは、八瀬大橋の架橋とともに外されたレールかも知れません。使っていないとはいえ西武鉄道の資産なので、捨てずに置いてあるのでしょう。くず鉄相場が上がるのを待っているのでしょうか。

024

  • pin[2009/03/11 13:31]

改めて南大塚に向かって歩き始めます。ここからしばらくは右カーブが続きます。歩いている時や写真では緩やかに感じますが、列車が通ると考えるとかなり急なカーブです。地図で測ってみたところ、曲線半径は400m程度のようです。カントも小さいので、制限速度は60km/hぐらいに抑えられていたと思います。写真下の位置マーカーで表示される地図には線路が載っていないので、航空写真に切り替えると分かりやすいと思います。

025

  • pin[2009/03/11 13:31]

[資料紹介2]

↓上の写真から下の写真までの区間を、歩きながら動画を撮影してみました。


散歩がてら歩くにはいい雰囲気です。桜並木の遊歩道にでもしたら、ものすごい人出になるでしょうね。

026

  • pin[2009/03/11 13:33]

1960年代の航空写真を見ると、当時この辺りは一面に田畑が広がっていたようです。耕作放棄地が増える一方で、この辺りは市街化調整区域なので家も建ちませんから、徐々に雑木や雑草が増えていったのだと思います。線路端の雑木林も昔の写真にはまったく見当たりません。

027

  • pin[2009/03/11 13:34]

ここでも木の根が線路を押し上げています。枕木やバラストは一体どこへ行ったのでしょうか。犬釘すら落ちていないので、外して転用したのかも知れません。でももしそうならレールだけ残すでしょうか。路線の「休止」はレールが存在しなければ認められないとか?

028

  • pin[2009/03/11 13:35]

低い築堤の先で道路と交差するようです。

029

  • pin[2009/03/11 13:37]

タンポポが咲いていました。こういう散策は春がいちばんですね。

030

  • pin[2009/03/11 13:37]

踏切の手前に短い鉄橋がありました。あとで調べたところでは「池部用水橋梁」という名称だそうです。どういうわけか鉄橋の上だけ枕木が残っていますが、ぼろぼろで歩いて渡ることはできません。レールや桁の上を歩いてもいいのですが、下に降りて迂回する道があるので、そちらを回ることにします。

031

  • pin[2009/03/11 13:38]

普通のプレートガーダー橋です。橋桁に入っている補剛材の先が屈曲している、ポーナル型と呼ばれるタイプで、明治時代に鉄道院(のちの国鉄)が採用した形式です。日本でポーナル型が使われたのは19世紀末ごろなので、1925年に開業した安比奈線とは少し時代が合いません。鉄橋はほかの場所から移設・転用されている場合があるので、竣工年が知りたくて銘板を探してみましたが、見つかりませんでした。

032

  • pin[2009/03/11 13:38]

橋を下から見た図。渡っている用水路は地図に記載がありませんが、付近の水田に水を供給する農業用水だと思います。農閑期だからか水は流れていませんでした。

033

  • pin[2009/03/11 13:39]

鉄橋を渡ると踏切(だった場所)です。道路部分の線路は撤去されているようです。この道路は安比奈線が現役だったころから存在していたようなので、拡幅か何かの時に撤去されたのだと思います。

034

  • pin[2009/03/11 13:40]

道路を渡ると、国道16号の手前までひたすら直線になります。沿線では梅が満開でした。

035

  • pin[2009/03/11 13:41]

木立のトンネル。廃線本などで安比奈線が紹介される時は、必ずと言っていいほどこの場所の写真が使われています。ただ、今回は安比奈から南大塚へ向かっているので、本やウェブサイトに載っているのとは逆向きかも知れません。

036

  • pin[2009/03/11 13:42]

アングルや画角を変えて撮ってみましたが、さすがに「今にも列車がやってきそう」には見えませんね。

037

  • pin[2009/03/11 13:43]

この木立は昔からあったようです。

038

  • pin[2009/03/11 13:44]

上の写真と同じ場所で、安比奈方向に振り返って撮影。古ぼけた架線柱に真新しいワイヤーがかけられています。このワイヤーは隣の架線柱では吊架線のようにぶら下がっていて、何本か先でまたこのように根元で結わえてあります。どういう目的でこのような工事をしているのか分かりませんが、倒伏防止に支線を張っているのかも知れません。ただ、それにしては吊架線が軽く蛇行していたように思います。架線は架線柱ごとに少しずらして蛇行させて張り、パンタグラフの集電舟の摩耗が偏るのを防いでいますが、こんな場所では必要ありません。そもそも使っていないわけで、倒れそうだったら抜いていまえばいいのでは?

039

  • pin[2009/03/11 13:46]

木立ちを抜けると、今度は踏切然とした踏切が見えてきました。

040

  • pin[2009/03/11 13:46]

この道路は踏切を中心にして4方向に分かれています。線路に沿った道路(線路右側)は新しく、そのほかは安比奈線現役時代から存在したようです。脱線防止レールの長さからすると、当時は道幅がかなり狭かったようで、軽自動車でぎりぎりという感じです。もっとも当時は、行き交う車両のほとんどが牛馬や荷車、自転車くらいで、自動車が通ることはあまりなかったでしょう。

041

  • pin[2009/03/11 13:47]

上の写真と同じ場所で、さっき通った木立ち(安比奈方向)を振り向いて撮影。たぶんこれが書籍やウェブサイトで紹介される、定番のアングルだと思います。どちらから見ても大して変わりませんね。夏場は暗くて本当にトンネルのようになりそうです。この付近で少し行ったり来たりしたので、撮影時刻が前後しています。

042

  • pin[2009/03/11 13:51]

先ほどの踏切を渡ってすぐに小さな水路を開渠で渡ります。どうやらこれは下水のようです。

043

  • pin[2009/03/11 13:49]

動画撮影用のカメラを静止画モードにして、線路端から目一杯ズームして撮影してみました。吊架線には碍子がついています。架線柱の左側には通信線を結ぶための碍子も残っています。私は子供のころ、碍子を集めるという妙な趣味がありました。

044

  • pin[2009/03/11 13:50]

線路に草が生えていて歩きにくいので、先ほどの踏切から次の踏切まで右隣の道路を通りました。

045

  • pin[2009/03/11 13:52]

ここにも開渠がありました。橋台にI型鋼を2本並べただけの簡素なものです。「西ノ谷溝渠」という名称らしいです。この辺りは古くから稲作が行われていたようで、あちこちに疎水が流れています。付近にも「○○新田」という地名がいくつかあります。この付近の田畑はずいぶん減りましたが、こういうところにその名残を見て取れます。もう少しすればこの疎水も活躍を始めるでしょう。

046

  • pin[2009/03/11 13:53]

下水らしき溝渠を渡って、その先は踏切。この辺までくると住宅が点在するようになりますが、田畑もまだまだ残っています。線路に対して溝渠が斜めに横切っていて、枕木も斜めに置かれているのが割と珍しいです。線路が敷かれるよりも前から存在したのでしょう。

047

  • pin[2009/03/11 13:54]

この踏切はバスで安比奈へ向かう時に渡りました。昔は畦道のような感じだったらしいですが、今はこんなに立派になりました。ここから再び線路を歩きます。

048

  • pin[2009/03/11 13:54]

地元の人は平行道路があればそちらを通るようで、なければこのように踏み跡が始まります。ただ、ここまでまったく誰とも擦れ違わないので、通学に使ったりはしていないようです。学校から「通るな」と言われているのかも知れません。

049

  • pin[2009/03/11 13:55]

道床に咲く小さな花。北海道で育ったせいか、私は春を告げるこの花がとても好きです。花言葉は「神聖、清らか、信頼」、「星の瞳」という別名を持ち、花の寿命はたった1日という、本当に可憐な花なのですが、オオイヌノフグリ(でかい犬のキンタマ)という名前でかなり損しているような気がしてなりません。どこの学者がつけた名前か知りませんが、もう少し洒落た名前にならなかったのでしょうか。

050

  • pin[2009/03/11 13:57]

先ほども見かけたワイヤーが左側から立ち上がっています。この写真だと、結わえたワイヤーがどのように架線柱に取り付けられているか分かりやすいです。普通に吊架線として碍子にくっついています。このワイヤーは錆ついているので割と古いようです。架線柱の倒伏防止のためと思っていましたが、こうして見るとやはり意味不明です。

051

  • pin[2009/03/11 13:57]

通路と思しき小さな踏切がありました。左へ行くと民家に通じ、右へ行くと道路に突き当たります。左側の民家は古くからあるようで、1947年に撮影された航空写真にも写っています。右へ進んで突き当たる道路は、古くは水路だったようです。現在は暗渠化して道路になっているので、家と結ぶ通路を新設したのだと思います。なお、リンクしているYahoo!地図では、この地点から南大塚までの区間が線路として描かれています。理由は不明ですが、こうした民間地図業者は行政などの関係機関と連携しておらず、古い情報や誤った情報が訂正されずに載っていることが往々にしてあります。

052

  • pin[2009/03/11 13:58]

またまた踏切。ここもさっきバスで通った道です。このような田園地帯でも道路だけは立派です。踏切の先には初めて「線路内立入禁止」の看板が現れました。右奥には道路下の暗渠から出た疎水が見えます。

053

  • pin[2009/03/11 13:59]

踏切を渡ると小さな橋で水路を渡ります。あとで調べたところ、橋の名称は「長瀞川橋梁」というそうですが、秩父の長瀞との関連はないと思います。こちらも簡素なプレートガーダー橋。橋台にI型の桁を渡すだけなので工事が簡単で、材料が少なくて済むので費用も安く、それでいて頑丈という長所を持っています。2本の桁には斜めやX型に補強が入ります。

054

  • pin[2009/03/11 13:59]

低い築堤が続きます。昔の農作業は牛馬に頼っていたと思うので、このように分断されると何かと不便だったのではないでしょうか。

055

  • pin[2009/03/11 14:00]

オオイヌノフグリの群生。この写真のように、レールの継ぎ目のボンド線はほとんどが切断されていました。安比奈線の閉塞方式は不明です。絶縁継ぎ目は見あたりませんでした。

056

  • pin[2009/03/11 14:00]

次の架線柱はコンクリート製のようです。

057

  • pin[2009/03/11 14:01]

水路を渡ります。

058

  • pin[2009/03/11 14:02]

幅員3mほどの道路と交差します。昔から道幅が変わっていないようで、最も原型に近いものだと思います。当時の人口密度と自動車の普及率を考えると、国道16号以外の踏切は、警報機も遮断機もない第4種踏切だったろうと思います。

059

  • pin[2009/03/11 14:02]

今回のレポートの冒頭に掲載した写真は、右側の梅の木で撮影しました。しばらく架線が途切れていません。

060

  • pin[2009/03/11 14:03]

安比奈線で最も長い鉄橋「葛川橋梁」です。とはいっても長さは30mほど(Googleマップの距離測定ツールで測定)。下を流れているのは川というか水路で、幅は2mほどと狭いです。橋桁の上を渡ろうかと思いましたが、体調が悪くてふらっていたのと、怪我でもしたら本格的に立ち入り禁止にされてしまうので、大人しく下に降りました。橋の上にレールの継ぎ目が3箇所あるので、10mの短尺レールが使われているものと思います。

061

  • pin[2009/03/11 14:07]

池部用水橋梁と同じく国鉄型のプレートガーダー橋です。途中に橋脚が1本入る単純桁橋です。下を流れている葛川は水量が極めて少なく、2~3cmの水深しかなかったので、すんなり渡ることができました。川幅に対して鉄橋が長すぎる気がして、昔は護岸していない普通の川だったのかと思いましたが、1947年の航空写真でも同じように狭いです。

062

  • pin[2009/03/11 14:07]

横から撮影。それにしても築堤といい橋桁といい、とても中途半端な高さです。もしここに道路や通路を通すとなると、踏切では前後に坂が必要になるし、アンダーバスでは水はけが悪くて冠水しそうです。田舎だから放置できているのでしょう。

063

  • pin[2009/03/11 14:07]

銘板を探していたら、板ではなく直に書いてあったようです。文字が削られた感じで判読不能ですが、いちばん最後に「業」と書かれているのが読めました。製造所の名前の一部だと思います。これが読めないと落成年や全長が分かりません。緑色に塗ったのはあとかららしく、下に赤い色が残っていました。

064

  • pin[2009/03/11 14:09]

[資料紹介3]

池部用水橋梁と葛川橋梁について。

この記事を公開後の2014年8月、池部用水橋梁と葛川橋梁の塗装工事を施工された「朝陽塗装工業株式会社」の加藤社長様より情報提供をいただきました。それによると、私が直書きの銘板と思っていたのは塗装記録なのだそうです。
現地では見つけられませんでしたが、池部用水橋梁の塗装記録には、上段から順に「昭和38年5月1日」「池辺用水橋梁」「朝陽塗装工業K.K.」と書かれていたそうです。上の写真の葛川橋梁も基本的には同じだと思います(少なくとも施工会社は朝陽塗装工業だそうです)。
葛川橋梁の塗装記録が削り取られたようになって判読できなかったのは、転写されたのではないかとのことです。「心ないことに」と表現されていたので、そのようなことをする収集家がいるのかも知れません。
朝陽塗装工業株式会社は西武鉄道を中心に民鉄各社の塗装工事を施工されているそうです。情報提供ありがとうございました。戸建て住宅の塗装も手がけているそうなので、鉄オタの皆さんぜひご検討を!


葛川を渡って、安比奈方向を向いて撮影しました。西日が強くなってきたので逆光気味です。この角度だと現役路線に見えなくもないですね。コンクリート溝に細い棒切れが渡してありますが、水量の多い時はあれを渡れということでしょうか。それ鉄橋を渡るより無理なんですけど……。

065

  • pin[2009/03/11 14:09]

葛川を渡って線路に戻ると、何やら行く手を阻むものが(後ろ手を組んだ爺さんではなく)。

066

  • pin[2009/03/11 14:10]

今までで最も水量が豊富な川に行きあたりました。付近には支流なのか疎水なのか下水なのか分からないものがたくさん流れているのですが、これは赤間川という川で、それを渡るこの鉄橋は「赤間川橋梁」だと思います。川幅は1.5mほどで、築堤の下に降りて助走をつければ飛べますが、対岸が切り立っているので体当たりしそうです。橋を渡るのは簡単なのですが、対岸の町工場が操業中で気が引けたため、大人しく迂回することにしました。

067

  • pin[2009/03/11 14:11]

とりあえず鉄橋を撮影しておきます。例によってI型鋼を使ったプレートガーダー橋ですが、今までのより長く、砂利を満載した貨物列車を通す割には小さすぎる気がします。安比奈線で使われていた電気機関車はED14という形式で、重量は約60tだそうです。ただ、車両の重量は各車輪に分散しますし、線路にかかった荷重は枕木でさらに分散されるので、これで間に合うのでしょう。それにしてもここまでは疎水の多い区間でした。日本は疎水の国と言われていて、総延長は約40万km にも及ぶそうです。

068

  • pin[2009/03/11 14:11]

迂回するため、とぼとぼと川べりを歩きます。道らしい道はありませんが、わずかに踏み跡が残っています。この写真は線路から離れて、安比奈方向を向いて撮影しました。電車の写真と合成してみたくなります。

  • pin[2009/03/11 14:12]

[資料紹介4]

↓赤間川左岸から安比奈線を動画で撮影してみました。のどかな田園風景です。


[資料紹介5]

↓赤間川橋梁の迂回経路。640mほどの距離です。
北側を回る方が全然近かったらしいです……。

map02


前へ][次へ