最近のわたくし
過去ログ (2000 年)


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2000 年 1 月 28 日 (金)
 なるサイト 2 月号はトップページの大幅更新をする予定なんだが疲れ過ぎて何にもできん。
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2000 年 2 月 21 日 (月)
 長い曲折を経て埼玉県民となったなるみです。
 この前の土曜日は石神井まで出かけて、友人と久しぶりにジンギスカンを死ぬほど食べた。二人で 5 人前食べたのだが、肉の部分がモヤシで底上げしてあったりして、野菜でお腹いっぱいって感じだった。でもあの羊の肉の匂いは懐かしくて食欲をそそる。
 田舎には 6 年近く帰っていないが、たまに帰りたいと思うのは、おいしいものをたらふく食べたい時くらいだ。ジンギスカンは東京で食べると高いが (一人前 1,500 円也)、北海道ならマトンなど 100 グラム 98 円くらいで買える。魚介類にしても然り。首都だけあって、東京では世界中の料理が食べられるが、値段が高すぎて興ざめだ。
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2000 年 2 月 23 日 (水)
 今日は高校時代に停学になった日だ。
 さて、先日ジンギスカンを食べたせいで里心がついてしまった。そういうわけで、来月久しぶりに帰省することにした。と言っても一泊二日程度で、実家に置いてある荷物を取りに行くだけ。
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2000 年 2 月 27 日 (日)
 30 才を過ぎて感じることの一つに、体調のすぐれない日が増えたことがある。常に体のどこかがだるかったり痛かったりして、スッキリした一日というものが少なくなった気がしている。それに伴って、体調を崩した時に余計な心配をすることも増えた。先週末から風邪を引いていて、金曜日は会社を休んだのだが、この時も「本当は肝炎か何かなのではないだろうか」などと考えてしまった。
 気持ちの中は全然変わっていなくても、体は確実に老化している。今いちばんの悩みは腰の痛みが取れないことだ。こういう話を書くこと自体気に入らないが、痛いものは仕方がない。仕事や私生活にも差し支えるので困っている。
 そんな中、あと 30 分で誕生日を迎える。
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2000 年 3 月 3 日 (金)
 せっかく風邪が治ったと思ったら、今度は会社で廃液流出事故があって、気化した化学薬品に長時間さらされていたため気管支炎になってしまった。目もおかしい。入院しないで済んだだけマシだけど、そのため本来今日から有給消化で 3 連休の予定だったのが、明日午前中だけ出ることになった。
 踏んだり蹴ったり。
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2000 年 3 月 4 日 (土)
 電話で彼女と話していて思ったのだが、僕のばあちゃんは僕が小学校二年生の時に 49 才で死んだ。ということは、僕が生まれた時は 40 才だったということである。あと 7 年しかないじゃないか!
 うちは代々かなり早婚なので特殊な例かも知れないが、それも僕の代で打ち止めってことかー。
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2000 年 3 月 8 日 (水)
 まもなく IE 5 がリリースされるようで、とても期待している。Mac 版の IE 5 は Win 版のとはまったく違って、外観的には次期 OS の Mac OS X に合わせたものになるようだ。
 外観はともかく、機能的にはとっくにネットスケープを追い越してしまった感のある IE だ。マイクロソフトの製品は好きではないが、これだけ差がついてしまってはもうダメだ。Win ユーザには信じられないかも知れないが、Mac 版のネコミュは未だに履歴すら残らないのだ。サイトごとローカルに保存することもできない。
 ホームページを立ち上げている立場上、表示確認のため数種類のブラウザは必要だが、もし IE 5 が安定しているようなら、ネットスケープとはおさらばだ。
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2000 年 3 月 9 日 (木)
 カレーライスはどこの家庭でも「うちのがいちばん」と言われている料理の一つだが、俺のカレーもかなり美味しいはずである。ここのところコンビニ弁当ばかりでイヤになっていたので、久しぶりに世界一のカレーを作って食べたが、やはりごはんは自分で作ったのがいちばん美味しいとつくづく思った。
 独身で一人暮らしなので、食事は買ってくるか自分で作るしかない。結婚でもすれば、たまには他人の作った食事を口にするようになるのだろうが、それは僕にはあまり魅力的な生活とは思えない。それと引き換えに「自由」が奪われるような気がするからだ。それに「作ってもらっている」という負い目を感じてしまって、ゆっくり味わうことができない気がする。野菜の皮をむく手間さえ我慢できるなら、食事は自分で作るのがいちばんいい。
 ちなみに後片づけはそれほど嫌いではない。
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2000 年 3 月 22 日 (水)
 はっきり言って、今回のプロバイダ引っ越しは失敗だった。128Kbps に対応していても、上流が細ければ速度は出ないのだった。よく調べもせずに乗り換えると、こういうことになる。昼間はフルスピード出るけど、テレホが始まった途端に固まってしまう。前のプロバイダで 64Kbps で繋いだ方が安くて速いってのも皮肉な話。耐えられないほどではないけど、ビジーも多い。埼玉の奥地のアクセスポイントでさえこうなのだから、03 地域は推して知るべし、である。
 あと、最近爆発的普及を見せている i-mode に対応したページを作ろうと思っている。いつになるかは分からないけど。
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2000 年 3 月 26 日 (日)
 今使っているマックはビデオ入力端子があるので、ヤマハ吉祥寺のコンサートの様子でも公開しようと思って、試しに取り込んでみた。でもやはりネットにムービーはきつい。数分の演奏でもファイルサイズが 30MB くらいになってしまって、どうやってもそれ以下にはできない。音声や動画の圧縮サイズを工夫したり、フレームレートを下げたりしても、とても実用的とは言えないファイルサイズになってしまう。これでは見る方もきついが、アップする方もサーバの割り当て容量的にかなりきつい。やはりインターネットでムービーが普及するには、もっともっと伝送速度が上がらなければだめなようだ。
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2000 年 3 月 29 日 (水)
 最近パソコン関連部品はネットを介して個人売買したり、オークションで落札して入手することが増えた。今日は Yahoo! のオークションで 22,000 円で落札した、9GB の内蔵用 SCSI HDD が届いた。昨日代金を振り込んだばかりなのに、対応の早いのには感心させられる。
 このハードディスク、Ultra2 SCSI に対応しているのだけど、僕のマシンは Fast SCSI。コネクタが合わないのですぐには乗せられない。搭載するには SCSI カードを差さなければならなくて、このカードがハードディスク本体よりも高かったりする。でもこれを使えば毎秒 80M という高速データ転送が可能になるのだ (現在の Fast SCSI は 毎秒 10M)。
 あと、一昨日から、よろやくリリースされた IE5 を使い始めた。現在のところ特に不具合なく快調に動いている。とても使いやすく気に入ったので、今までメインにしていた Netscape は、デフォルトブラウザの座を明け渡すことになった。ブラウザ競争は、Windows と Mac OS に限って言えば、IE の圧勝だと思うのだがどうか。UNIX 関係は Netscape が主流だろうけど。
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2000 年 4 月 6 日 (木)
 ネタが多いと書くのが面倒になるのが日記のうざいところ。RealAudio で音声で流せば楽なんだけれども、どうもこういうところで声を流すというのは照れ臭い。
 さて、先週は金曜夜から日曜日まで、久しぶりに遊び倒したという感じだった。特に土曜日は「なる系」のオフ会があって、中華街まで行ってきた。「なる系」を主宰していていつも思うことだが、なにしろオフ会をしても話の弾む人ばかりだし、女の子は全員かわいいし、よくもまあ素晴らしいメンバーが集まったものだと思う。これはネットで「なるみ」という人が集う偶然性と合わせて考えると、かなりすごいことだと思うのだがどうか。・・・しかしいいことのあとには悪いこともあって、週末ずっと外出していたため、その間駅前に置いてあった自転車を盗まれてしまった。
 話は大きく変わるが、マック関連ファイルの情報収集サイト「新しもの好きのダウンロ~ド」をチェックしていたら、ネットスケープのバージョン 6 のプレリリースが出ていた。解説を読むと IE を思いっきり意識していることが伺えるが、いかにも IE5 が出たことで慌てているのが見え見えでみっともない。ちょっと最近色々インストールしすぎていて、不安定っぽいので、今回は見送り。
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2000 年 4 月 16 日 (日)
 麻雀に「九蓮宝燈」という上がり役がある。最も高い「役満」という上がり役なのだが、他の役満に比べると上がれる確率は非常に低く、実戦では一生に一回上がれるかどうか、という役だ。本当だかどうか分からないが、麻雀ファンの間では「九蓮宝燈を上がると祟りがある」とか「上がった場合はその麻雀牌を焼かなければならない」などという迷信が言い伝えられている。それだけ上がるのが難しい手だということである。ところが 20 才のころ、僕はこの役を上がってしまった。僕は中学生のころから麻雀が好きで、当然九蓮宝燈に関する迷信も知っていたが、一生かけても上がれるかどうかという大きな手を、みすみす見逃すことはとてもできなかった。麻雀荘で打っていたので牌を焼くわけにも行かず、それどころか店の客や従業員が見物に来たので有頂天になってしまった。
 九蓮宝燈を上がると事故に遭うから気をつけろなどと店の人に言われて不安になったりもしたが、その後は別段これと言ってトラブルはなかった。しかしここ何年もの間すっかりツキをなくしたかのように、悪いことばかり起きているから、もしかしたらじわじわと来てるのかも知れない。

九蓮宝燈
↑九蓮宝燈テンパイの図。これに一萬~九萬のどれが来ても上がれる。
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2000 年 4 月 17 日 (月)
 先週一週間だけ夜勤をやったため、体のリズムが狂ってしまって寝られなくなってしまった。現在朝の 5 時半。今日はこのまま寝ないで会社に行って、無理に元のサイクルに戻すつもりでいる。こういう力技は若いころには何度もやったが、年を取ると考えただけでストレスになる。
 さて、今回この日記のスクリプトを違うのに変更して、久しぶりに模様替えしてみた。今まで使っていたのは「ネットサーフ・レスキュー」という、cgi 設置を考えたことのある人なら誰でも知っているサイトで公開されていたもので、MiniBBS 2 というスクリプトだった。これはタイトルからも分かるように本来掲示板用のスクリプトなのだが、管理者だけが書き込めるモードを持っていたので、細かいところを改造して日記用に使っていたのだ。模様替え自体は去年の暮れから考えていて、とても気に入ったスクリプト (というよりプログラム) も見つけていたんだけど、言語が C で書かれているので改造が難しかった。ホームページのデザインテイストを統一するというのは、見た目の美しさと同時に読み込みを速くするという狙いもあるので、ある程度の改造が施せることが必要だった。
 ちなみにこの日記には昔のログも移植したが、それは 1999 年 1 月からである。1 年半近くも続けていながら、わずか 60 件あまりしか書いていないというのは、あまりにも情けない。これからはなるべくまめに書くようにしよう。
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2000 年 4 月 18 日 (火)
 中学生のころからとても欲しくて探している本があるんだけど、どうしても見つからない。昭和 40 年ころに少部数で出版されて、再版もされずにすぐ絶版になってしまったので、古書市場に出回ることも稀で、手に入れるのは非常に難しいみたいだ。
 今度の休みに神保町の古書店を回って、この本を探してみようと思っている。今ならインターネットで探した方が早いんだけど、この本はどう検索しても出てこないし、ネットの「売ります買います」的サイトでは、売り物をチェックしている人は多いけど探し物まで見てくれる人は少ないのでダメだ。神保町あたりはひところよりだいぶ古書店が減ったような気がするが、それでも店のオヤジと直に話した方が情報収集にはなる。見つかりはしないだろうし、見つかったとしてもかなり高い値段がついてると思うけど。
 鉄道図書刊行会編の「日本の客車」という本、売ってくれる人がいたらメールください。
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2000 年 4 月 19 日 (水)
 少し前に友人とジンギスカンを食べてから、すっかりその味を思い出してしまって、最近どうも落ち着かない。実家にいたころは、毎週土曜日はジンギスカンというくらい頻繁に食べていたのに、東京に来てからはすっかりご無沙汰だったからだ。この前の日曜日も市内のすべての肉屋に電話してみたが、マトンやラムを置いている店は皆無だった。池袋の西武に行けば置いているらしいので、今度の休みに買いに行こうと思っている。ちなみにタレは近所の大きなスーパーに置いてあるのをチェックしてある。これでビールを飲めば、しばらくは幸せな気分でいられるに違いない。
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2000 年 4 月 22 日 (土)
 今日はとてもいい天気だったので、熊谷から秩父鉄道の SL 列車に乗って、三峰口まで散歩に行ってきた。今まではこういうイベント列車的なものは好きではなかったんだけど、乗ってみるととても楽しいものだった。沿線の見物客や、踏切待ちの車のドライバー、すれ違う電車の乗客や乗務員まで、みんながにこにこして手を振ってくれた。牽引していたのは C58 という大型の蒸気機関車で、僕が唯一乗ったことのある大井川鉄道の C11 に比べるとかなり迫力がある。しかし加減速性能の著しく高い電車に慣れてしまった現在、よくもまあ昔の人はこんなのんびりした乗りものに文句も言わず乗っていたものだと思った。
 車内は熊谷を出た時点では乗車率 80 ~ 90% という感じ。寄居からはさらに増えて、デッキに立ち客まで出ていたけど、ほとんどは御花畑で降りてしまった。GW 中はもっともっと混むだろうから、今日のうちに遊んでしまって正解だった。乗客の客層は家族連れのほか、若いカップルや友達同士というのが多かった。
 ずっと窓を開けていて顔が煤煙で真っ黒になったので、三峰口で降りてすぐ顔を洗い、しばらくぶらぶらしたあと、秩父まで戻って西武線の特急に乗って池袋に出た。この日はこのほかに秋葉原でマックのパーツを買い、次に「ボーンコレクター」という怖い系の映画を観に行って、ネットカフェで TA の CCL ファイルをダウンロードして、池袋西武でジンギスカンの肉を買うつもりだったんだけど、時間がなくて秋葉原以外は翌週に持ち越し。
 秋葉原ではサーバ用に 4,000 円で買ってあった LC475 を使えるようにするため、内蔵電池と 64M の SIMM を買った。このほか内蔵用ハードディスク、68040-40MHz の CPU、外付けの CD-ROM ドライブ、LAN カード、モニタ切り替え器、VRAM なども必要だけど、予算不足なのでおいおい揃える。ほとんど中古で豊富に出回っているパーツばかりなので、早晩現役復帰できるだろう。
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2000 年 4 月 23 日 (日)
 今日は寝てばかりの日曜日だった。ジャンクで買った LC475 には漢字 Talk 7.1 が入っていた。ちなみにこの LC475 というマシンは 1993 年のモデルだ。漢字 Talk 7.1 は 1992 年にリリースされた OS だ。この時代は僕はご多分に漏れず PC-9801 を使って、ちまちまと MS-DOS のコマンドを打ち込んでいた。会社には何台ものマックがあったけど、値段が高くてとても個人では買えなかった。4,000 円で買ったこの LC475 だって、当時は 238,000 円という値段で、それでも当時の専門誌には「マック史上最高のお買い得マシン」と書かれていた。その値段の大部分は、宝石のような高さだったメモリと、当時としては大容量のハードディスクだろう。現在はその値段で G4 を買ってお釣りがくるが、それでも PC/AT 互換機よりはだいぶ高い。
 さて、メインマシンで使っていたデータは拡張フォーマットで保存してあるので、 LC475 には OS 8.1 を入れるつもりだ。重いのは分かっているけど、68K マシンで拡張フォーマットを認識できる唯一の OS だから仕方がない。メモリ増設もそのためだ。次の休みに外付けの CD-ROM ドライブを買わなくては。そういや内蔵用 CD-R が 15,000 円くらいで出ていたな。あれ買って箱に入れとこうかな。
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2000 年 4 月 25 日 (火)
 腰の痛みが我慢の限界に達したため、午前中で早退して帰ってきた。今までは屈んだり座っていると痛かったが、今日あたりは立っているだけで辛い。自転車こぐのもダメ。配置替えしてもらおうと考えている。GW 明けたら病院に通う。
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2000 年 4 月 27 日 (木)
 腰の痛みは漸増といった感じで一向に良くならない。直立不動なら痛くないがそれ以外の姿勢ではかなり辛く、屈んだりひねったりという動きはほとんどできない。このようにパソコンに向かって日記を書くなどという作業も、5 分程度が限界だ。会社は先日早退してから行けなくなって、このまま GW に突入する。長い休暇になってしまった。腰に負担のかからないと思われる部署への配置替えについては承認されたが、このままではどのような職場でも働くのは無理だ。入院も含めて、田舎で療養することも考えている。
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2000 年 5 月 1 日 (月)
 腰の痛みは少し引いてきたが、爆弾を抱えていることに変わりはなく、当分の間大人しくしていなければならん。今日は知人紹介の超オススメ接骨院というのに行ってくる。
 せっかくの GW だというのにつまんない。もし良くなったら沼津に遊びに行きたいのだが・・・。
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2000 年 5 月 3 日 (水)
 あら不思議。あれほど痛くて田舎に引っ込むことまで考えたほどの腰痛が、整体師に一時間ほど「撫でて」もらっただけで、ほぼ完全に消えてしまった。痛みの原因は、慢性的な疲労とひどい冷え性だそうだ。加えて痩身で背が高いという体型と、基礎体力のなさも影響しているということだった。これらのことは自覚はしていたが、それだけでこれほどの痛みが襲ってくるとは・・・。恐るべし、冷え性。ちなみに今回お世話になった整体師は、紹介してくれた知人からはかなり腕がいいと言われていたが、自分自身が腰を痛めてしまったため、半年あまり休業していたらしい。今後また仕事を再開するということなので、この場でも強くオススメしておく。ちなみに料金は 3,000 円である (時間は症状によって大きく異なり、場合によっては 15 分ほどで済んでしまうこともあるようだ)。
 現金なもので、痛みがなくなった途端に暇なのが苦痛になってきた。GW の残りはあと 4 日。誘う相手はいなくもないが、わざわざ行き先を話し合ったり、時間を決めて待ち合わせたりするのが面倒くさい。趣味や価値観の異なる人と出かけて気疲れするより、最近は一人でいる方を選ぶことが多くなってきた。
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2000 年 5 月 4 日 (木)
 なにげにテレビをつけたら「クイズ$ミリオネラ」が終わる直前で、知人にそっくりな人が 100 万円取ってたのでびっくりした。でもあの手のクイズで 100 万円取れるほど頭のいいやつではないので、よくよく見たらやはりよく似た別人だった。反対咬合のところまでそっくり。
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2000 年 5 月 5 日 (金)
 公共広告機構のテレビ CM で臓器提供意思表示カードのシリーズをやっている。ご覧になった人もあるだろうが、あの CM はこのカードの趣旨を正しく伝えていない。
 臓器提供意思表示カードは俺もだいぶ前から携帯しているが、このカードには選択する大項目が三つある。一つは脳死後に提供する臓器を選ぶ項目。もう一つは心停止で提供する臓器を選ぶ項目。そして最後には「臓器を提供しない」という項目。所持者はこの三つの項目から選んで○をつけておくようになっている。このことから分かるように、このカードは「自分の死後に臓器を提供するかどうか」「もし提供するならどの状態でどの臓器を提供するのか」を第三者に明らかにするためのものなのである。ところがあの CM ではこのカードを持つことと臓器を提供することが同列のように描かれ、しかも提供することが美徳でもあるかのような作りになっている。こういう雰囲気作りがいちばん怖いことだと俺は思う。自分の内臓を他人に渡すかどうかを、なぜテレビごときに指図されなければならんのだ。
 日本人は本当の自由というものに慣れていないのだろうか。誰かがある方向に仕向けてくれたり、雰囲気作りをしてくれたり、根回しをしてくれないと、自分の内臓の処遇すら決められないのだろうか。CM の最後には「死んでも何も残らないんだから」という台詞が印象的に残るようになっているが、こんなことで多くの共感を得られるほど日本人の儒教精神は底の浅いものではない。最近の公共広告機構の CM は強いインパクトを持つ作品が多いが、これは明らかに的外れで勉強不足だ。
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2000 年 5 月 7 日 (日)
 昨日、池袋に行ったついでに、念願のジンギスカン用のラム肉を買ってきた。100 グラム 100 円ということで、北海道で買っていた値段とほとんど変わらなかった。今日は三食すべてジンギスカン。大変おいしゅうございました。家庭で食べるジンギスカンというのは、店で食べるのとは全然違う。タレも刺身醤油の小皿みたいなのに入れてちまちま食べるのではなくて、お椀になみなみと注いで、その中で肉を洗うようにじゃぶじゃぶ付けて食べるのが正しいやり方なのだ。しかし羊の肉というのはかなり臭うので、慣れない人にはつらいかも知れない。
 さて、腰の痛みはしばらく座ったままだったりすると、戻ってくるようだ。明日から仕事だけど、とりあえず薬でごまかしておいて、休みの日にレントゲンでも撮ってもらうつもりでいる。
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2000 年 5 月 8 日 (月)
 僕の学生時代のアイドルといえば松田聖子や中森明菜だ。個人的には明菜の方が好きで、レコードや CD も色々持ってたけど、この前超久し振りに松田聖子のシングルレコードを聞いて、その歌唱力に改めて感心した (ぶりぶりのファッションは昔から嫌いだったけど)。明菜も聖子も歌はとても上手だった。今のアイドルの多くは美人でもないし歌唱力も乏しく、おまけにバカなので、テレビを見ていても面白くない。たまに上手に聞こえるのがいても、思いっきりエフェクトをかけているからそう聞こえるのであって、生で歌っている時は下手くそすぎて聞くに堪えなかったりもする。個人名を挙げると、熱烈なファンにサイトを荒らされたりするから、怖くて名前は書けないけど・・・。
 最近は aiko が気になっている。
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2000 年 5 月 12 日 (金)
 現在の俺のひと月あたりの酒代は 35,000 ~ 40,000 円程度である。これは他の諸経費と合わせて考えると、かなりきつい金額なのだが、我慢することができず困っている。そもそもビールなどという最も高くつく酒が好きなものだから、節約することもままならない。
 俺は朝御飯を食べずに出勤しているが、もともと低血圧ということもあって、職場では午前中は何となくぼーっとしている。午後は昼御飯を食べて眠くなるので、やはりぼーっとしている。そういう時は酒が飲みたいなどとは思わないのだが、やはり帰宅するころになるとかなり疲れていて、早く飲んですっきりしたいと心が急 (せ) いてしまう。
 喉を潤すだけの酒ならいいが、心の痛みとか、腰の痛みとか、そういうものから一時的にでも逃避したくて飲んでいたりもする。
(80)

2000 年 5 月 14 日 (日)
 やあやあ、雷の季節がやって来た。昨日は会社帰りに鳴ってて生きた心地がしなかった。今日も午後からだらだらと鳴り続けている。遠くで鳴ってると思って安心していると、いきなり近くの送電線に落ちたりするから油断がならない。雷に打たれるなんて、そう滅多にあることじゃないと人は言う。しかし何年か前に福島だか茨城だかの男子高校生が、浮気相手の女生徒と自転車で二人乗りしていて、雷に打たれて両方とも死んでいるのだ。どうやら悪人に落ちるらしい。
(81)

2000 年 5 月 18 日 (木)
 俺は長い間煙草を吸い続け、酒も飲み続けてきた。いつからこのような生活をしているかというと、・・・と思ったが法に触れるのでここには書かない。しかしとにかく年齢に相応した長い期間だ。俺が今まで飲んだビールは、一日あたり 500cc の缶を二本として計算すると、合計 6,570 リットルで 3,942,000 円である。一方煙草は一日あたりセブンスターを 20 本として計算すると、今まで吸った本数は 153,300 本で 1,919,250 円だ。
 さて、俺は長生きなどしたくはないが、仮に 70 才まで生きると仮定しよう。これからその年齢で死ぬまで酒と煙草に使うと思われる金額は、ビール代 4,051,500 円、煙草代が 3,376,250 円 となる。すべてを合計すると、俺は一生で酒と煙草に 13,289,000 円使い、そのうち 5,216,857 円 40 銭を税金として取られるということになる (すべて現行の税率と販売価格で計算)。
 ・・・なんだ、思ったより大したことはないではないか。
(82)

2000 年 5 月 20 日 (土)
 眼鏡壊しちゃった。思えばこの眼鏡も 5 年間も使い続けたので、愛着があって少し淋しい。
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2000 年 5 月 21 日 (日)
 腰を痛めたりして仕事面ではガタガタな日々が続いていたが、遅れを取り戻すため怒涛のように働きはじめた今日このごろ。所得倍増計画。本当は昨日と今日は休みだったんだけど、急遽昨夜は夜勤で休日出勤になった。いつもの俺なら絶対断るところだが、そういうわけで快諾した (当然態度には出さない)。
 眼鏡は今週末に買いに行くが、どんなのにしようか迷っている。本当はフレームレスにしたいんだけど、かけたまま寝ちゃったりするから、普通の方がいいんだろうなー。
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2000 年 5 月 22 日 (月)
 先日、知人の掲示板で「美穂の旅」というのを知った。これは自分の分身 (バーチャル) を世界旅行に出すという内容で、旅先からは分身からのメールや写真が頻繁に送られてきて、時には他の旅行者と出会うこともある。外国なので外国人からも来るらしい。これらは全部バーチャルではあるが、旅先で出会う他の旅行者 (の本体) は本物の人間なので、少し前に流行った「ボトルメール」的な出会いがあるかも知れない。なかなか面白いので早速参加している。僕の分身は昨日までオーストラリアで釣りをしていたが、現在はペルーに向かって移動中らしい。
 この分身の旅行記をまとめて、ホームページで公開したかったが、分身から届いたメールや写真は転載禁止なんだそうだ。残念。
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2000 年 5 月 23 日 (火)
 先日、ネットスケープのバージョン 6 (PR1) がリリースされたと書いたが、案の定、ものすごく不安定かつダサダサ・インターフェイスらしく、最低最悪の評判だ。僕は怖くてインストールしていないが、あちこちの掲示板や Mac 専門誌で、けちょんけちょんに書かれている。Win 版や Unix 版ではどうなんだろうか。僕はもう IE 以外は使う気はないけど、このバージョン 6 についてくるという「Net2Phone」というのには興味がある。これはインターネットから電話をかけられるというやつらしい。もし安定して使えるものならこれだけ単体で使いたい。
 Mac にはこのほか「iCab」という新鋭ブラウザがあるが、文字コードが EUC のページで文字化けするので、ほとんどの検索サイトが使えない。JavaScript も完全には動かない。動作は軽いが今いちメインにするには力不足だ。そしてまた、バージョン 8 までの OS に添付されていた「Cyberdog (通称・柴犬)」というのもあった。これも軽くて良かったが、残念ながら開発中止になってしまった (OS 9 で動くんだろうか)。
 気に入っている IE 5 は非常に高い評価を得ているが、マイクロソフトのお家芸である「重大なセキュリティホール」が見つかっている。世界の標準を標榜する巨大ソフトウェアメーカーでさえこうなのだから、ブラウザの開発というのは、それほど難しいものなんだなーと実感する今日このごろ。
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2000 年 5 月 24 日 (水)
 「なるサイト」開業から 2 年あまり。カウンター 10,000 アクセスの大台が目前に迫ってきた。開業当初は一日 2 ~ 3 アクセス程度だったが、最近は検索エンジンで管楽器を検索して訪れてくれる人が増え、平均 20 アクセス程度になった。野郎の個人サイトなど色気も何もないけれども、いらしてくれた方々には感謝している。
 来月初旬にはレンタルサーバ業者を変えるので、大がかりなサイト引っ越しを予定している。移行中は数日間閉鎖するが、移行後は「国民のための管楽器図鑑」にワード検索機能をつけたり、SSI を利用したファイル更新情報など、色々な付加機能を盛り込むつもりでいる。
 色々と変化の多いネット界だが、独自ドメインもあることだし、形を変えながらも「なるサイト」は存続していくつもりなので、今後ともよろしくお願いします。
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2000 年 5 月 25 日 (木)
 休みの日に天気がいいというのは何となく嬉しい。昨日は千葉あたりで雹が降って大変な騒ぎだったらしいが、そんなのが嘘のようないい天気だ。明日は久しぶりに彼女とご飯を食べに行く。
 分身はペルーからアマゾン川沿いにブラジルに渡ったらしい。
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2000 年 5 月 31 日 (水)
 分身の世界旅行が終わってしまった。

> さて、これからどこに行こうかな。そうだ、このバギーに乗って
>リオデジャネイロまでドライブしようかな........
> といきたい所ですが、旅費が尽きました......


 このようなメールが届いて、あっけなく幕切れ。結局オーストラリア、ペルー、ブラジルの三ヶ国しか行かなかった。旅費を使い果たしてしまったというところが、本体の行動に恐ろしく類似していて怖いくらいだ。中学二年の北海道一周旅行で、函館~長万部~倶知安~伊達紋別~追分~夕張~旭川~留萌~羽幌~稚内~名寄~北見~網走と回り、釧路でお金を使い果たしてしまい、本来そこで一泊したのち帯広~襟裳~苫小牧~函館と続ける予定のところを、急遽その日の夜行列車で札幌に出て、親戚の家に小遣いをもらいに行ったっけなー。
 なんだか最近何をやってもつまらん。わくわくしない。
(90)

2000 年 6 月 3 日 (土)
 夏が近づいてきたって感じ。毎日暑い。
 今までだらだらと引きずってきたことすべてに、ふんぎりをつけようと思っている。それがなかなかできなかったために、多くの時間やお金、労力も無駄に消費し続けてきた。今がまさにその時期で、早晩新しい暮らしが始められると考えただけで、明るい気持ちになってくる。やっぱ夏だもん。
(91)

2000 年 6 月 5 日 (月)
 この夏から秋にかけては、コンサート三昧の日々を送ろうと思っている。とりあえず 10 日には埼玉の与野高校吹奏楽部の定演があるが、これは残念ながら行けない。このほか、クラシックをはじめ、ジャズ、ラテンなどのライブにも多数出没予定。
(92)

2000 年 6 月 6 日 (火)
 埼玉もこのくらい奥地になると、ノリはほとんど東北のようなものだ。一応首都圏 (地元の人・談) なのにもかかわらず、老若男女を問わずきわめて保守的な気質であることに驚く。同じように都心から離れている南西部とは違い、風景なども金太郎飴のようで、どこの町も没個性で変わり映えしない。
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2000 年 6 月 7 日 (水)
 今年の夏は遊び倒す予定なので、それに先立って色々と情報収集しているが、こういう漠然とした目的での検索は、相変わらずネットより雑誌の方が便利だ。「ぴあ」だの「TokyoWalker」だの買ってきては、イベントやコンサート情報などをチェックしている。果たして今年は「浴衣姿の女の子と花火を見に行く」という二十年来の夢が叶うか否か。
 来週は久しぶりに下北沢に行くつもり。「つんくタウン」で企画された低予算映画を観るのだ。「生地獄」というのと「LOVE JUICE」が特に気になっているが、「生地獄」は死ぬほど怖いらしいし、「LOVE JUICE」はお客がほとんど女の子という噂なので、どちらも見られずに、タコ焼き買って帰ってきてしまうかも知れない。下北には普段はこれといって用もないし、行くのは 10 年ぶりくらいだ。ビリヤードが流行っていたころは、親友が池ノ上に住んでいて、僕も幡ヶ谷だったので、よく「突きに行こうか」などと誘いあって行ったが、最近はどう変わったんだろうか。
 あと、いわゆる移動電話を買うにあたって、しばらく i-mode にするか H" にするか悩んでいたが、結局基本料金や通話料の安い H" を買った。PHS は以前と違って時速 100km くらいで走っている電車や車でも切れずに話せるし、地下鉄でも使える。データ通信が 64Kbps で行えるのも○。だいいち音声がクリアなので、携帯のように話しているうちにイライラしてくることもない。
 インターネットの端末としてなら i-mode の方が優れているし、対応したコンテンツも作りやすい。H" も制作はできるが独自タグが多く、リンク等を CGI でコントロールしなければならないので非常に面倒くさい。あと望むのは、文字入力がもっと楽になればいいということだ。長文変換ができないのは相変わらずだし、単語の語彙も貧弱だ。例えば H" (某三洋電機製端末) の日本語変換で「吉祥寺」が出てこないのは大変不便である。日本語環境を充実させるためには、辞書の充実や AI 機能の搭載はもちろん、長文一括変換や、確定済み文字の再変換、単語登録、アンドゥやリドゥのできることが必須だろう。
 各社から様々なモバイルツールが発売されているが、究極のモバイルはこういった移動電話だ。必要最小限のコンテンツ表示と、メールを利用するくらいなら、高い金を出してバカでかいパソコンを買わなくても、携帯一個あれば充分だったりもする (ただし通信費が高いから、長く使っているうちにノートパソコンを買った方が安上がり、ということになってしまうけど)。どこかのメーカーさん、音声認識ソフトを内蔵した携帯、出してくれませんか?
(94)

2000 年 6 月 9 日 (金)
 職場に新しく転属してきた人に高校新卒と間違われた。たまに大学生に思われることはあるので、実質それとあまり変わらないのだが、僕はとっくに 30 才を過ぎているわけで、言った方も言われた方も大変驚いていた。僕の後ろの席にはガングロ茶髪のホンモノの新卒が座っているので、嬉しいような悲しいような妙な気分だった。
(95)

2000 年 6 月 13 日 (火)
 6 年も帰省していないせいか、最近田舎に帰る夢を頻繁に見る。田舎を出てから十数年も経ったので、さすがに夢で見る帰省シーンは青函連絡船ではなくトンネルだ。トンネルは夢ごとに入り口が違っていて、時には実家の前から出ているし、また時には子供のころ住んでいた家の近くにあった遠浅の砂浜から出ていたりする。夢では決まって東京に帰る列車に遅れそうになるか、または本当に遅れてしまって乗れない。俺は自分の部屋で子供のころの写真を探しているが、出てきたためしがない。出てくるのは父が読んでいた難しそうな漢文の本ばかりだ。たまに昔飼っていたアイヌ犬の純が出てくることがあるが、これは極めて稀でたまに出てきてもすぐにどこかに走り去ってしまう。 そしてまた、現実と同様に実家に帰っても家の中には誰もいない。
 俺の人生も半ばに差しかかったらしい。
(96)

2000 年 6 月 14 日 (水)
 梅雨入りしたのが先週の何曜日だったか忘れたが、もう 6 日間も雨が降り続いている。主婦の皆さんもこの天気には困り果てているようだが、うちでもついに着るものがなくなってしまい、仕方なく溜りまくっていた洗濯物を洗った。2DK の片方の部屋に物干し竿を渡して、電気ストーブをつけっ放しにして「乾燥室」にした。さすがに一晩で乾いたが、こういうことをすると部屋が傷んでしまう。
(97)

2000 年 6 月 15 日 (木)
 僕はホームページはすべてテキストエディタを使ってタグを書いているんだけど、さっき HTML 文法チェッカで調べてみたら、スペルミスや文法ミス、開始タグの存在しない閉じタグ、その他もろもろの多いこと多いこと。バージョン的には HTML 3.2 と 4.0 をまぜこぜにしているので、ある程度の文法ミスを指摘されるのは分かってるんだけど、例えば「cellspacing」とするべき所を「cellsapcing」と書いている箇所が 20 個以上あった。コピー & ペーストでやっているから始末におえない。あと、テーブルタグを何重にも入れ子にして使ったりすると、書いてるうちにどの階層なのか分からなくなってくるんだよなー。タブを使えば見やすくなるのは分かってるんだけど、あんまりタブ使う習慣ないから忘れてしまうんだよー。ああいやだ、気づいてしまった以上、直さないわけには行かないじゃないか。
(98)

2000 年 6 月 26 日 (月)
 昨日は終電に乗り遅れてしまい、マンガ喫茶で夜を明かしてしまった。雨が降っていたので野宿するわけにもいかず、最近は繁華街は治安が悪く、ちょっと恐怖を感じてしまった。山手線などで遅れたのと違い、ローカル線のため終電が 21 時台と早く、朝までがとても長かったのでちょっと疲れた。
(99)

2000 年 6 月 28 日 (水)
 この間、久しぶりに昔のコンサートのビデオを見た。俺は以前何年間か代役でユーフォニウムを吹いていたのだが、当時は自分でもよく練習した方だと思う。ユーフォニウムというのはとても使いでのある楽器なので、トロンボーンに比べると楽譜が細かくて忙しい。その時も指の速い曲ばかりだったので、俺には無理なのではないかと思ったりもしたが、楽器というのはさらった分だけ上手になれるんだなーということを実感したのもこのころだ (指が動くことと上手いこととはちょっと違うけれども)。何でそんなに練習したかというと、それは愛しのみかみかがいたからだ。好きな人に見られていると余計頑張ってしまうのが人情というものだ。学生時代にもやったことのなかった「マッチ棒練習」までやって、速いスケールをさらったりしたのは、みかみか自身が優れたミュージシャンだったので手を抜けなかったからでもある。上手に吹けたらほっぺにチューしてもらう予定だったので、近年にない頑張りを見せたんだったなー、などということを思い出しながらビデオを鑑賞した。なお結局上手には吹けなかったがチューはしてもらった (口にしとけば良かったぜベイビー)。ちなみに「マッチ棒練習」というのは、机にマッチ棒を何本か並べておいて、ヤバそうなフレーズをちゃんと吹けたら一本ずつ取り去って行く、というものだ。一回でも間違ったらマッチ棒を全部戻して最初からやり直し。当然最初に用意するマッチ棒の数が多いほど厳しい練習ということになる。俺は最初張り切って 30 本用意したが、何回やってもダメなので途中から 10 本に減らした。
 このように、やる時はやる俺だが、逆にそういう人がいないと全く何もしなくなるのが致命的な欠点だ。
(100)

2000 年 6 月 29 日 (木)
 ムツゴロウさんというのは非常に負けず嫌いの人らしくて、ライオンに指を噛み切られたというのに、平然として「こんなものは怪我のうちに入らない」などと言っている。しかし怪我をしたくないなら動物と付き合うべきではないというのは正論で、僕も全く賛成だ。筒井康隆の初期の短編に「ここに恐竜あり」というのがあるが、人間が動物に対して一方的に友好的イメージを持つことの愚かさが書かれている。人間と動物は常に敵対関係にあるということだ。
 ちょっと話は違うが、僕は最近の動物系ディズニー映画が大嫌いなのだ。動物を擬人化した作品には面白いものも沢山あるが、ライオンキングなどに至ってはアメリカ流自己中心的正義感を子供に植え付けるための政策映画だと思っている。
(101)

2000 年 6 月 30 日 (金)
 NTT が専用 IP 接続サービスを始めてしばらく経つ。最初は東京と大阪のごく一部に限られていたが、現在は両都市の全域に拡大され、料金も一ヶ月 4,500 円ということで、4 万円近くかかった従来の専用線に比べて格安である。このサービスは 7 月には政令指定都市へ、来年早々には全国へと広がるらしいが、ADSL との兼ね合いもあって、どちらを待つか迷うところだ。
 うちで加入しているプロバイダは、全国でも数少ない専用 IP 接続に対応したプロバイダで、申し込むと固定グローバル IP を一個もらえる。もし固定 IP がもらえないとしても、アメリカでいくつか提供されている無料の疑似ドメインサービスを使えば、とりあえず固定ドメインでアクセスすることが可能になる。こういったサービスを利用すれば、家庭内サーバをわずか数千円で構築できるという夢のような時代になったわけだ。ちなみに Mac OS には「Web 共有」というソフトウェアが標準でついていて、これをワンクリックするだけでサーバマシンとして利用できるようになる。CGI は「MacPerl」というソフトを入れておけばだいたいのものは動く。FTP やメールサーバ機能はないが、必要ならそれぞれ色々なソフトが出回っているので好きなものをインストールすればいい。
 一家に一台サーバがあって、各家庭のサーバにはホームページや公開ファイルが置いてあって、自由に見たりダウンロードしたりできるような時代になるかも知れない。しかしそれは従来のような、いかにもパソコン然としたものではなくて、もしかしたらテレビや冷蔵庫や電子レンジの形をとっているかも知れない。そして例えばよその家の夕食のメニューを見に行って、参考にできたりもするようになるかも知れない。有名人の誕生日などには、その家の冷蔵庫サーバにアクセスが集中して、日本中が同じメニューの夕食・・・、などということになったら少し面白い。
 ドメイン名などというものは本来どうでもいいもので、IP アドレス = 電話番号のような感覚になるかも知れない (メールにはドメインが必要だけど、それはプロバイダがくれるからいい)。便利なような、恐ろしいような時代だ。公開しているファイルはいいけれども、そうではない見られたくないファイル、例えば家計簿だとか、住所録だとか、予定表だとか、そういったものを不正侵入されて持って行かれるという被害も続出するだろう。企業レベルでは珍しくないこの手の犯罪だが、そう考えるとちょっと怖くなってくる。サーバを立てる費用は少なくて済むようになったが、勉強しなければならないのは変わっていないではないか。
(102)

2000 年 7 月 2 日 (日)
 交替勤務になってから、久し振りに金~日曜日の三連休だ。一昨日は狭山ヶ丘高校吹奏楽部の定期演奏会に行ってきた。全国大会に出るようになってからは初めて行ったのだが、昔よりはだいぶお客も増えていて、4 階席まで満員御礼だった。満員御礼のコンサートというのも本当に久し振りだ。さすがである。例年ならヤマハ吉祥寺の人たちも沢山来るが、今年は平日ということで非常に少なく、ある情報によれば合計 8 人だったということだ。
 コンサートが終わってから、いつもなら所沢の「百味」で酒を飲むことになっているので、女の子 2 人と会場の前でしばらく待っていたが誰も来ない。団長の携帯に電話したら、とっくに帰ってしまっていて、ユーフォニウムの団員と二人で秋津で飲んでいるということだった。僕らは 3 人ともに都合の良い国分寺で飲んで帰って来た。国分寺で飲むというのも超久し振り。某大手電機メーカーに勤めていた頃は、隣の西国分寺に住んでいたので頻繁に通ったが、行かなくなって 10 年近く経つかも知れない。
 昨日は赤坂のマンガ喫茶でこのホームページの更新作業。細かい修正は会社の Win マシンでもできるが、大幅な更新は Mac でないと無理なので、わざわざ iMac が置いてある所まで出かけたのだった。途中、かなり大きな地震があったのでびっくりした。帰ってきてテレビを見たら神津島で死者まで出たらしい。島嶼だから被害の規模は大きくないのだろうが、一応東京都内のできごとなのだから、もっと大きく扱っても良さそうなものだ。
 今日は午前中にエアコンを注文した。エアコンなしで乗り越えようかとも思っていたけど、昨日は 34 ℃まで気温が上がって呆気なく断念した。夜勤の時に寝られないのは非常に困るので、これは仕方がない。今度の金曜日に取り付けになるということで、とりあえず安心。
(103)

2000 年 7 月 3 日 (月)
 戸外が多少涼しく感じられても、部屋に戻るとうだるような暑さだ。台所には都合により冷蔵庫が二台あるので、その廃熱でサウナのようになっている。恐らく名前に「ご」のつく昆虫が繁殖を始めているに違いない。ちなみにこの「ご」という昆虫は、もともと「御器被り (ごきかぶり)」と呼ばれたのが変化して現在の呼称になった。御器被りとは読んで字の如く、食器の下に潜んでいることからついた名で、万葉集にも登場する (と思うが記憶が曖昧)。「御器被り」と書くとカタカナで書くよりも優雅に感じられるから不思議である。万葉の時代の「ご」とはいなかる昆虫だったのだろうなどと思いを駆せたが、今と同じくせわしないに決まっているのだった。
 さて、今度の金曜日にエアコンの工事があるが、僕は実はクーラーがあまり好きではない。今回取り付けたのも「夜勤時に寝られない」という直接生活にかかわる悩みがあったから、仕方なくというのが正直なところだ。普通の日中だけの仕事だったら我慢したかも知れないが、数日ごとに昼と夜が入れ替わる現在の生活で、睡眠すべき時にできないというのは深刻な問題だ。クーラーが好きではないというのは、あの風に当たっていると何だか気持ち悪くなってくるからなのだが、これは冷え性という体質もあるし、プラスイオンを大量に発生しているからなのかも知れない。北海道育ちなのでクーラーというものに馴染みがなかったせいもあるだろう。
 時々、レストランやホテルのロビーなどの公共スペースで、冷やすのがサービスと言わんばかりに冷蔵庫のようにしている所に遭遇することがある。電車の車内では通りかかった車掌に「寒すぎる」と文句を言うことが増えた。以前は「これでも暑いと感じる人がいるのかも知れない」と思って遠慮していたが、現在は公共スペースのクーラーは寒く感じる方の希望を優先するべきだと思うのですぐに言う。電車の強すぎるクーラーは特に辛いからでもある。座っていれば多少マシなのだが、釣り革につかまって立っていると、天井の送風機から冷え冷えの風がもろに頭に降りかかる。それでなくとも外で汗をかいて頭髪や衣服が湿っているから、冷風をまともに浴びたらあっという間に体温が奪われて、頭がガンガンしてくるのだ。ちょっと話は逸れるが、京浜東北線などの通勤線の一部では、通勤電車として初めて窓の開かない車両が使われている。車内の温度調整はすべて空調で行うようになっていて、ブラインドすらついていない。短い区間ならそれでもいいが、毎日こんなのに閉じ込められて長時間通勤することを想像すると、未だに非冷房車が走っている埼玉の奥地でもいいかな、という気になったりもする (ほんの一瞬)。
 追伸。ガオカのコンサートに来た人数は、その後の調査 (?) で 10 人に増えた。
(104)

2000 年 7 月 4 日 (火)
 今日の夕方からの雷はハンパではなかった。会社で仕事していたが、停電が二回、瞬停は数えきれないほどだった。帰りまでに終わらなければ、タクシーを呼ぼうと考えていたが、何とか夜 8 時には収まったので、無事に帰ってこられた。途中から社内のコンピュータを全て立ち下げたので、することがなくなってとても暇だった。とても広範囲の雷だったようで、都内でも大手町が水浸しになったとニュースで言っていた。
(105)

2000 年 7 月 5 日 (水)
 先日、新しいサーバにデータを送っている時に、誤って日記のログファイルのいちばん新しいのを消してしまって、6 月分をまるまる失ってしまったのだが、会社の IE で見た時のキャッシュが残っていたので助かった。それ以外は大がかりな移転だった割にはスムーズに行った方かも知れない。まだ Telnet の利用申し込みをしていないので、C 言語の CGI のコンパイルができていないのだが、どうせ参加者もいないしそのうちやる。
 今日、勤務予定表をじっくり見ていたが、今年の定期演奏会に万全の体制で出るためには、合宿以降本番まで 6 ~ 7 日ほど会社を休まなければならないと分かった。そのような活動をしていることは会社には伝えてあるし、上司がテナーサックスの名手だったりして、理解は得られると思うのだが、日常のリズムというものがあるので、休まずに済ませられるものならそうしたい (かといって仕事したいわけでもない)。
(106)

2000 年 7 月 6 日 (木)
 昨日、CX の新ドラマ「愛をください」を見ていたら、のっけから見慣れた風景 (函館山ロープウェイ乗り場) が出てきたのでびっくりした。ロープウェイ山麓駅はうちの母校のすぐ近くだ。
 あの周辺はドラマや CM のロケがとても多く、我が母校の生徒も慣れっこにはなっているが、大物が来た時はやはり騒ぐ。高校一年のころ、松田聖子がポッキーの CM の撮影に来た時などは、全校生徒の大半が教職員の制止を無視して授業を放り出し、現場となったハリストス正教会近くの坂道に押し寄せた。僕ももちろん行った。
 最近のテレビドラマは、終わりが近づくにつれて加速度的につまらなくなるものばかりだが、今度はどうか。
 しかし菅野美穂は可愛いなー。
(107)

2000 年 7 月 8 日 (土)
 昨夜の台風は寝ている間に終わっていて、近所が冠水していたが、うちはアパートの二階なのでどうということはなかった。うちから 50m ほど離れたところにある行きつけのラーメン屋が床上浸水したため、仕入れに行けなかったらしく、食べたいメニューが食べられなかったのが被害といえば被害だ。
(108)

2000 年 7 月 11 日 (火)
 以前利用していたレンタルサーバ会社の対応が非常に悪く、新しいサーバにドメインが割り当てられないままでいる。三週間以上前から、ネームサーバの新しいアドレスを InterNIC に登録するよう頼んでいるのに、全く音沙汰がない。かなり頭にきているので、これについては後日また詳しく書く。
(109)

2000 年 7 月 13 日 (木)
 先日から続いている雪印の問題は、北海道出身の僕としても非常に残念だ。雪印は北海道の酪農と常に密接な関係にあったので、道民からは非常に信頼されていて、好感度の高い企業だった。現在のように色々なスーパーがオリジナルブランドの牛乳を出す前は、北海道の牛乳はほぼ雪印一色と言っていいほどで、僕なども明治や森永が牛乳を発売していることさえ知らなかった。
 スーパーなどの一部では、雪印製品の完全撤去に踏み切った。会社存亡の危機だが、これほど杜撰な衛生管理が表沙汰になってしまっては仕方がない。だが、そういうスーパーだって、売れ残った惣菜の日付シールを貼り替えるくらいのことは、日常的に行われている。僕は 20 才そこそこのころに数多くのバイトをしたが、どこの職場も似たようなものだった。便所に行って手も洗わずに寿司を握っている店もあったし、客の食べ残しや床に落とした食材を平気で使う超一流レストランもあった。食中毒などめったなことでは発生しないし、もし発生しても個人客では検証が難しくて事件になりにくいからだろう。近所のレストランで食事をして「何かおかしい」と感じていたら、案の定しばらくしてから猛烈な下痢や嘔吐に見舞われた、という経験をした人も少なくないはずだ。ただ、乳製品の衛生管理は例外なくどこも非常に厳しかった。これは保健所の検査に引っかかると即座に営業停止を食らうからだ。
 大メーカーであればあるほど末端からの情報は滞るが、乳製品メーカーとしては、衛生管理だけは他の雑多な情報ルートとは区別するべきだったと思う。
(110)

2000 年 7 月 14 日 (金)
 僕は映画を観るという習慣 (?) がないので、古今東西の名画や名優といったものをほとんど知らない。だから「最近観た映画は?」とか「好きな俳優は?」と聞かれるととても困ってしまう。生まれてこの方、映画館に行ったことは 10 回以下。レンタルビデオも返すのが面倒なので滅多に借りなかったのだが、田舎暮らしは退屈なもので、家に帰ってきてから寝るまでの暇つぶしに、最近頻繁に借りに行くようになった。ここ数日で借りた主な映画は「ディープ・インパクト」「パッチ・アダムス」「シックス・センス」など。
 「ディープ・インパクト」は地球規模の危機にもかかわらずほとんどアメリカ人しか登場せず、しかも大統領が黒人という設定で、作り物の臭いが強すぎてダメ。「パッチ・アダムス」はこの三本の中では最も良かったが、主人公がいい人過ぎて感情移入しづらい。また、事実に基づいて作られたということだが、本来地味なテーマなだけに、感動的な場面はすべて脚色ではなかろうかと醒めた目で観てしまった。「シックス・センス」は借りてから観るまでに時間がかかった。最初の数分だけでは観る気にならなかったからだ。子供の演技は良かったが、ストーリーは「豪華版・世にも奇妙な物語」という感じだった。もっと深い精神世界の話だと思っていたのだが。
 アメリカ映画には「ぶっ壊してぶっ殺してキスしておしまい」という根強い偏見を持っている。戦争好きな国だけあって、戦争モノにはいい作品もあるのだが、今回観たのはそういったものではなかった。しかしやはり金をかけている割に底が浅い。アメリカ人に受けるにはこのくらいがちょうどいいのかも知れないが、映画の余韻を楽しんで、そこから何かを学ぼうとするには、ちょっと物足りなかった。今度はアジア諸国の映画を観てみよう。
 世の中の映画通の方には笑われるかも知れないが、とりあえずこんなもん。
(111)

2000 年 7 月 15 日 (土)
 昨日は仕事が終わってから、数年前に付き合っていた元彼女 (22) に誘われるまま、焼き鳥を食べに川越まで行ってきた。カレシにドタキャンされたんだそうだ。可哀想に。「俺なんかさー、ドタキャンなんかしたことなかったじゃーん。絶対俺の方がいいに決まってるってばー」などと酔っ払って口説いてみたが、ダメなんだそうである。
 暑くて煙いのは焼鳥屋の風情なんだけれど、ちょっと度を越して暑かったので気持ち悪くなってしまった。最近どういうわけか、ちょっと飲んだだけでも体調を崩すようになった気がする。
 あとはエアコンが気持ち悪い。タイマーでも何でも、とにかく消えると暑くて目が覚める。つけっ放しだと朝がめちゃだるい。この間などはむき出しの背中に冷風を受けて寝ていたため、翌朝は背中が痛くて起き上がれないほどだった。これだけ色々な技術が進歩した世の中でも、エアコンなんてこんなもんなのかなあ。コロナからマイナスイオンのエアコンが出たらしいけど、使い心地はどうなんだろうか。うちのもコロナだけど、そこまで新しくはない。電気屋で大安売りしていた機種 (18,800 円) は売り切れで、ちょっと高めのを選んだのは、店員に「電気代が年間 1 万円以上違いますよ」とうるさく言われて、断るのが面倒だったからだ。大安売りの機種は取り付け工事費が高く設定してあって、普通の機種を買っても合計金額にそれほど差がなかったからでもある。うちは光熱費は会社持ちなので、電気代などどうでもいいんだけど、どうせ同じような金額を払うなら、工事費の割合が多いよりは、本体価格が高い方を選んだ方がいいに決まっている。高い機種の方が節電できるのはインバータ制御だからなのだが、インバータは騒音が大きいので困る。うちのバルコニーはコンクリートの床ではなくて、安っぽい樹脂製の床なので、室外機と共振して起こる、いわゆる「びびり振動」が発生する。インバータの「んにー」という騒音と、びびり振動の「びびびび」という騒音で、うちのバルコニーはかなり賑やかだ。夜中に目が覚めてしまうのは、そのせいかも知れない。
(112)

2000 年 7 月 19 日 (水)
 仕事等のストレスが臨界に達したので、月曜日の日勤を終えてから飛んで帰ってきて、風呂に入って着替えて、そのまま車を借りてドライブに出かけた。最初は東京周辺をぶらぶらするつもりだったが、気紛れにつぐ気紛れで行き先が何度も変わり、気がついたら未明に信州の某高原に着いていた。もう 7 年も前になるが、標高 2000m に達するこの高原のあるホテルで、2 シーズンほどバイトしていたことがあった。着いたのは深夜ではあったが、月明かりで眼下に雲海が浮かび上がり、立ち上がった積乱雲の隙間から藍色の果てしない宇宙が見渡せて、とても神秘的だった。しかしこのような所に来る予定ではなかったので、半袖のポロシャツという格好はとても寒かった。正確な気温は分からないが、夜が明けるまでは 15℃ 前後だったと思う。
 月明かりの下、久しぶりに体験する「完全な無音」の世界で、山麓のコンビニで買ったビールを飲みながら、7 年前の記憶をゆっくりと辿ってみた。この高原での夏はとても忙しかったが、同時に多くの楽しい思い出を残してくれた。他の多くの観光地と同様に、ここでも夏のシーズン中は、夏休みの大学生などのアルバイトが沢山訪れる。仕事が終わった後、彼らと酒を酌み交わしながら色々なことを語り合ったり、花火をして遊んだり、車で連なって麓の村まで歌いに行ったり、時にはケンカになったり、短い夏の間に語り尽くせぬほどの出来ごとがあった。ヤマハ吉祥寺の楽団員が遊びに来てくれたこともあった。酔っ払って思い出すうち、懐かしくて涙が出てきた。しかし当然のことだが、ホテルの建物はそのままでも彼らはもういない。みんなに可愛がられていた雑種犬の「タロウ」も、数年前に癌で死んだそうだ。バイトに訪れる学生は、若いからといって必ずしもすぐに打ち解けて親しくなれるわけではなかったが、彼女 (タロウという名だが雌だった) のお陰でずいぶんコミュニケーションが楽だった。同時に、知人もなく、タロウもいないこの高原が、いかに退屈な場所かということも初めて知った。
 バイトは短期の学生のほか、僕のような長期の人もいた。その中に、この高原のマドンナ的な存在の、とてもきれいな女の子がいた。歳が 1 つしか違わず、互いにぶっちゃけた性格だったので、彼女とはすぐに親しくなった。高原に来る前は、埼玉の方で物書きをしていたと言っていた。親しみやすい朗らかな性格でありながら、聡明だった彼女は、僕より少し遅れてバイトに入り、僕がやめた後もその高原で冬を越した。とても酒が好きな女性で (僕はそのような人が大好きだ)、時々飲み過ぎて記憶をなくし、翌朝気付いたら僕の布団に潜り込んでいて、「どうして私はここにいるの?」「そりゃこっちが聞きたいよ」などとという会話が交わされたことも何度かあったが、これはこれで楽しい思い出だ。
 そんな高原のマドンナが、もしかしたらまだ残って働いているのではないかと僕は思っていた。この高原で冬を越すというのは、相当な覚悟がいる (僕は 2 シーズン勤めたが冬の間は東京に戻っていた)。シベリア並みの過酷さだからだ。穏やかな中に芯の強さを持った彼女ではあったが、27 才 (当時) の女の子が、そんな環境を厭わず越冬できたなら、今ごろすっかりこの高原に居着いているのではないか、とも予想できた。しかしやはり彼女はおらず、数年前にやめて下界 (山の人は麓をこう呼ぶ) に降りたということだ。ホテルで働く僕の知る人は、支配人のほか、わずか 2 ~ 3 人だった。何の前触れもなく行ったのに、支配人などは顔を合わすなり「お、なるみ君じゃないかー」と言ってくれた。自分のことを覚えていてくれるというのは、心底嬉しい。
 僕は高校を卒業して以来、15 年に渡って一人暮らしをしてきた。一人暮らしというのは気楽だが、しかし時々は、本当に本当に淋しくてたまらない。今回何となく某高原に足が向いたのも、昔の仲間に会って、淋しさを紛らわせたいとの思いからだったと思う。その願いは、仕事を終えた支配人ほか数名のスタッフと飲みながら夜半まで語り合ったことで、半ば達せられた。従業員の私室にもなっている旧館に宿泊したことで、当時の生活の匂いを嗅ぐこともできた。だが、僕にとってタロウとマドンナのいない高原は、空虚だったかも知れない。だから、余計淋しくなって帰ってきたかも知れない。
 来月の夏休みは数日間このホテルを手伝わせてもらうことにした。客で行っている以上、僕は非日常の時間を過ごしているわけで、高原の生活が日常の人たちとは、そもそも相容れない感じがするからだ。それに、埼玉の奥地にいるよりは、わくわくする夏休みを過ごせそうだから。
(113)

2000 年 7 月 24 日 (月)
 昨日変なもの食ったせいか、腹の調子が悪い。
(114)

2000 年 7 月 27 日 (木)
 無理させて 無理をするなと 無理を云ひ
  (某東京電力業務用エレベータ内のいたずら書きより)
(115)

2000 年 7 月 30 日 (日)
 今まで、会社に持って行く弁当はコンビニ弁当ばかりだった。というか、食生活のほとんどをコンビニ弁当に頼っていた。しかしコンビニ弁当というのは決して安くなく、おまけにまずい。三食すべてをコンビニ弁当で済ますと、一日 2,000 円近くの食費がかかってしまい、これに酒や煙草代を加えると、とても現代人のエンゲル係数とは思えないことになってしまう。自宅で食べる食事についてはたまに自炊もしているので、どうせやるなら完璧にやろうということで、会社に持って行く弁当も、自分でお握りを作ることにしていた。しかしそこで浮いた食費がそのまま酒代に化けていることが、最近の調査で判明した。
 お金は好きなように使ってしまえ、という結論に至った。
(116)

2000 年 8 月 2 日 (水)
 夏休みは海に行く予定だったが、例によってまた中止になってしまった。予定がダメになることには慣れっこだが、既に「海セット」を買ってあったので、それが無駄になってしまった。最近こんなんばっかだ。今後はこういうことはなくなるらしいが。
 体の調子も良く、精神的にもいい感じなので、今週の土曜日は久しぶりにヤマハの練習に行く。本格的に復帰するのは来月からのつもりでいるが、必ずしも土日が休みではないので、行ける時に行っておかなくては。
(117)

2000 年 8 月 3 日 (木)
 日曜日に作った眼鏡が届き、ようやく快適になった。フレームがゆるゆるだったので、汗ばむとすぐにずり落ちてしまって、とても落ち着かなかった。月曜日は用があって横須賀の方に行ってきた。乗り換えは一回で済むんだけど、めちゃめちゃ遠くて、往復 7 時間半もかかってしまった。家に帰ってきたのは夜中の 12 時過ぎで、疲れすぎて途中で気持ち悪くなってしまった。しかしとりあえずビール飲んで復活。いつかはこんな所から朝 4 時に起きて出勤したこともあったんだなー、ようやるわー、などと感慨にふけってしまった。今後、そっち方面には用がなくなったので、横須賀ネタはおしまいにしようと思っていたら、10 月 8 日に「よこすか芸術劇場」にベニーグッドマン・オーケストラが来るんだった。行くのはいいが、夜 8 時には現地を発たないと帰ってこれないぞ。・・・と悩んでいたけど、よく考えたらこの日はヤマハの合宿中だった。
 火曜日から夜勤が始まっているが、月曜も火曜も死ぬほど暑くてバテバテだ。今日は若干涼しかったので助かった。月曜日に電車に 7 時間半も乗っている間、以前「部屋に緑が欲しい」と思って買ってあったベンジャミンを、一日中ベランダに置いておいたら、葉っぱがしおれてしまった。日差しが強すぎるとダメなのかな。可哀想なことをしてしまった。あと、どういうわけか今シーズンは部屋でゴキブリを見かけない。
(118)

2000 年 8 月 5 日 (土)
 現在、夜勤の昼休み。仕事が終わったら、夕方からヤマハの練習があるが、それまで寝るか寝ざるか、大きな問題だ。寝ない場合はこれから 24 時間ほど起きていなければならん。午前中は服を買いに行きたいので、恐らく寝られんだろうなー。うー。
(119)

2000 年 8 月 6 日 (日)
 昨日は久しぶりにヤマハの合奏に参加した。今さら言うのも何だけれども、合奏ってのはほんっとうに楽しいな。行って良かった。今月はもう行けないけど、来月からは月 3 回程度は行けると思うので、頑張って練習しよう。
(120)

2000 年 8 月 9 日 (水)
 以前も書いたかも知れないが、この辺は北関東であって断じて首都圏ではない。俺の中での「首都圏」とは、せいぜい東武動物公園まで (東武伊勢崎線の場合) である。
 ということで、北関東はやたら雷が多く、今日も夕方から 3 日続きの激しい雷雨になった。一昨日などはたった 1 時間程度の雨で、うちのアパートの周囲の広い範囲が冠水した。どうやら水はけの悪いところらしい。道理で家賃相場が安いはずだ。先週の土曜日にヤマハの練習に行った時も、終わった後の飲み会で家賃の話で盛り上がって (?) いた。最近はうちのバンドも平均年齢が上がり、すでに結婚や同棲していたり、またそういう予定を持つ人が多くなった。引っ越しの候補地は、慣れ親しんだ中央線沿線、それも杉並区や武蔵野市など、吉祥寺付近にする人が多い。しかしこれらの町は家賃相場が高いことでも知られている。特に吉祥寺駅周辺では、ワンルームでも最低 7 ~ 8 万、3 LDK あたりになると 13 ~ 15 万程度はする。これに駐車場がついたりすると、普通のサラリーマンにはちょっと悲劇的な負担となってしまう。俺もそのような話が持ち上がった時には吉祥寺が候補の一つだったが、あまりに高すぎて諦めたことがある。ところが団員の話によると、杉並区のある地域では、比較的安い相場の所があるらしい。何でも時々善福寺川が氾濫するので、その流域ではお得な値段で入居できるということだ。本当だろうか。
 現在俺が住んでいる埼玉の奥地は、これといって遊ぶ場所もなく、終電も早く、夜のとばりが降りれば蛙の合唱が耳に心地良い、大変退屈な所である。しかし家賃が安く (この間 3LDK で 65,000 円というのを見つけた)、浮いたお金を違ったことに使えるのは結構なことだ。といっても都内に出るのに電車代が往復 2,000 円くらいかかっちゃうんだけども。
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2000 年 8 月 10 日 (木)
 月曜日から連続 4 日も夕立で、会社帰りは雷鳴轟く中、恐怖に顔を歪めながらの通勤。ホントに毎日生きた心地がしない。激しい雷雨のもと、送電塔のそびえ立つ田んぼの畦道で自転車をこぐ、この恐怖があなた、分かりますか?
 しかし最近、自分がどうしてこれほど雷に怯えるのか、分かってきた気がする。僕は小さいころから、厳格な父の顔色を伺いながら育ってきた。自分の行動が正しいのかどうかより、父の機嫌を損ねないかどうかを考えてきた。大人になってもそれは残っていて、自分の行動に自信が持てず、きっと僕は悪いことをしていて、そのような人はきっと落雷に遭って死んじゃうに違いない、というような観念があるからだと思う。
 雷が鳴っている時に外に出ると、恐怖のあまり、胃がきゅっと萎んでいるのが分かるほどで、潰瘍ができてしまうのではないかと心配しているくらいだ (潰瘍というのは場合によっては数秒でもできる)。これはもう心療内科に相談した方がいいかも知れない。
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2000 年 8 月 11 日 (金)
 本当は今日から信州の某高原の山荘でソフトクリームを巻いている予定だったんだが、連絡不十分で中止になってしまった。うー、暇な夏休み。来月は楽器を買うので、派手には遊べないしなー。とりあえず来週の頭には、ヤマハのお友達「むくにょん」の新居に泊まりに行く。積もりに積もった話が山ほどあるのだ。
 さて、そうこうしている間に出ましたね、PowerMac G4 の新しいのが。相変わらず凄いデザインで物欲をそそるんだが、クロック周波数が思うように上がらない G4 CPU を何とかして売ろうとする、Apple の苦肉の策にも見える。ラインナップは 450MHz と 500MHz の二つになったが、価格は旧 G4 の 400MHz と G4 Cube の 450MHz が同じ 198,000 円。これは最初期の G4 400MHz PCI モデルを買った人にはむかつく話かも知れない。一瞬だけ出ていた 350MHz 版を買った人などは、悔しくて七転八倒しているに違いない。コンピュータなどというものに興味を持ってしまった人の宿命ですな、こういうことは。
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2000 年 8 月 12 日 (土)
 実を申すと楽器は Yahoo! のオークションで探していたりする。最近、探し物はネットですることがほとんどで、見つからない場合や値段が気に入らない場合は、すぐにオークションを見に行く習慣がついてしまった。取りあえず第一希望の入札締め切りが今日の夜なので、何とか予算内で落札できればと思っている。幸いなことに締め切り時刻がテレホーダイ直前なので、そんなには混雑しないと思うんだがどうだろう。もし落札できたら、機種と落札価格を発表する。
 あと、うちでは届いたメールをすぐに読みたいので、インターネットのメールは全部 PHS のアカウントに転送するように設定してある。PHS の方もアカウントにメールが届いたら着信音で知らせるようにしてある。しかし一日 30 件以上届くので、うるさくてかなわない。ほとんどスパムメールばかりなので時々イヤになるが、中には大事なメールもあるから読まないわけには行かない。だいいち PHS のメールサーバの容量はとても小さく、放っておくとすぐにいっぱいになってしまう。ヘッダだけ見て、不要なのはリモートで削除できるようにしてくれればいいんだけど・・・。
 便利なんだかよく分かんなくなってきた。
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2000 年 8 月 13 日 (日)
 今日は埼玉県某市の花火大会なのであった。最近はマンガ喫茶でネットをやっているのだが、そういう日なので大変混みあっていて、入店してしばらくパソコン空くのを待っているうち、オークションの入札締切時刻が過ぎてしまった。そんなオチかい。しかし 10 日後に同機種の他のエントリーの楽器が入札締切を向かえるので、今度こそは落札するぞ (とりあえず入札済)。
 マンガ喫茶というものが世に登場したころは、わざわざマンガ読むために金まで払ってそんな所行くかと思っていた。けど利用してみるとなかなか快適だったりして、最近はすっかり常連になってしまった。マンガを読む習慣はないけど、飲みものや食べものが安くてお徳感がある。中ジョッキの生ビール (実は発泡酒) が 120 円というのは、家で飲むよりだいぶ安上がりだ。発泡酒を「ビールください」と注文するのは、酒飲みとしては忸怩たるものがあるんだけれども、メニューにそう書いてあるのだから仕方ない。
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2000 年 8 月 15 日 (火)
 ドメインが新しいネームサーバに割り当てられず、困り切っていたので、ドメインを取得した「Network Solutions」にメールしたら、早速返事が返ってきた。それによると、Network Solutions の web サイトのフォームから変更手続きができるとのことだった。それは分かっているんだが、現在登録してあるメールアドレスが無効になっている場合は、フォームからはできないはずだと思うんだが。あと、29.95 ドル払えば、直接 Network Solutions に電話して、超特急で変更に応じてくれるらしい。日本語の分かる担当者はいるんだろうか。俺は英語は多少話せるが、聞き取りはできんのだ。あと、変更する内容は、メールアドレス、現住所、ネームサーバアドレスなのだが、日本の住所をどのように口頭で伝えればいいのだろうか。
 以前のレンタルサーバ会社には本当に困らされた。本来ならこういう変更手続きはレンタルサーバ会社の方で行ってくれるはずなのに、何度頼んでもやってくれない。コンタクトはメールでと言われ、何度もメールしたが返事なし。電話しても、受け付けのお姉ちゃんが「お問い合わせはメールで」とか「担当者に伝えます」などと、判で押した答えしか返ってこない。電話に出る時は英語で応答しているので、ちょっとは使えるお姉ちゃんかと思っていたが、全然役に立たない。頭に来ていても相手が女性では怒鳴るわけにも行かない。大手町のオフィスまで行って文書まで作って依頼したが、結局何もしてくれなかった。インターネット関係の会社は忙しいためか人手の少ない所が多く、社員全員のスキルが高いわけでもないので、トラブルが起こると解決が面倒で仕方がない。
 レンタルサーバを借りる時は日本ユナイテッド・システムズ株式会社だけはやめましょう。
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2000 年 8 月 17 日 (木)
 一週間の夏休みも今日が最後なのだった・・・。海も山もみんな中止で、結局ビデオ三昧の日々だった。この夏休み期間中だけで、生まれてこのかた観た映画の本数を軽く上回ってしまった。昨日は「むくにょん」の家でご飯をご馳走になって、深夜 3 時すぎまで喋っていた。朝起きたら部屋には僕一人だけだったが、どうやら鼾がひどくて、途中からリビングに移動したらしい。すまん。
 一緒に飲むつもりで買って行ったビール 6 本のうち 5 本を自分で飲んでしまったため、朝からずっとぼーっとしている。帰りの電車は目が覚めたら多摩センターだったので、ついでに多摩モノレールに初めて乗ってみた。えらくのんびりした電車だったが景色は良かった。
 明日の夜から夜勤でスタート。9 月からはコンサートに向けて、ほぼ毎週吉祥寺に通う。合宿のための有休申請もしなくては。
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2000 年 8 月 19 日 (土)
 実は僕は休日出かける時などには秩父鉄道を利用することが多い。秩父鉄道ではこの間の 9 日の激しい雷の時、熊谷市内の踏切の制御機器に落雷して遮断機が上がったままになり、知らずに踏切に進入した軽自動車が電車に衝突して死者が出るという事故があった。事故の一時間ほど前から「踏切が故障している」との通報が 2 回あり、運転指令からは全列車に対して該当区間を徐行するように連絡していたらしいが、事故を起こした電車は、踏切の直前まで通常の時速 80 キロで走行していたという。そして今日、関東運輸局が秩父鉄道に対して再発防止策を求める警告書を出したと新聞に載っていた。
 その数日後には、立体交差になった道路から線路上に落下したコンクリート塊に、電車が衝突するという事故もあった。はっきり言って秩父鉄道は事故が多い。僕がこの町に住み、同鉄道を利用するようになってから、このほかにも乗客をドアに挟んだまま発車したり、出発信号の現示が赤なのに出発しようとしてあわてて急停車したりといった、細かいトラブルが何度かあった。これらは表沙汰になっていないし、出発信号がどうなっているかなどは、普通の乗客は気付きもしないだろうから、新聞などには当然載っていない。しかし僕は以前から同鉄道全体の安全に対する意識は低いと感じている。
 秩父鉄道は羽生~三峰口を結ぶ、全線単線電化の地方私鉄だ。旅客輸送は 3 両編成ワンマン運転の各駅停車が主で、このほか熊谷~三峰口には急行列車やイベント列車 (SL 列車) の設定もある。特徴的なのは貨物列車の本数が多いことで、セメントの原料になる石灰石を満載した貨物列車が、旅客列車の合間を縫って頻繁に走っている。ほとんどの駅に交換設備があり、それを利用して線路容量いっぱいの列車が走っているということだ。
 単線で列車の遅れが出ると、あっという間に全線にダイヤの乱れが広がってしまう。交換駅で、行き違いの列車の到着が遅れれば、それを待つ列車も発車できない。行き違いの列車を待って発車した列車を待つ隣の駅でも、交換列車は待たされる。こうして一列車の遅れがすぐに他の列車に影響してしまうのが単線の特徴だ。だから運転士は遅れが出るのを嫌って、踏切事故の時も速度を落とさなかったのではないだろうか。沿線は田園地帯で、夜にもなると通行人や車もまばらになる。同鉄道は警報器も遮断機もない踏切が多く、更に車は踏切の手前で一旦停止して、左右の安全を確認してから渡るということになっているから、衝突事故など起きないと過信していたのではないかと思う。
 鉄道輸送には「安全性」「正確性」「速達性」という三つの柱があるが、最も優先すべきは言うまでもなく安全性だ。今後同鉄道の安全輸送に対する意識が改善されることを願っている。
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2000 年 8 月 22 日 (火)
 ここのところ観たビデオ。
「8mm」
8mm フィルムのインパクトはあるけど、ストーリー地味すぎ。異常性欲者の裏の世界をもっと描いて欲しかった。
「フェアリー・テール」
主演の二人の少女が好演。僕はこういうの好き。
「アルマゲドン」
「ディープ・インパクト」と似たような内容だけど、こちらの方が断然いい。
「ジャンヌ・ダルク」
嫌い。ジャンヌ・ダルクって偏執症とか分裂症だったのか? 世界史苦手だから分からないけど。
「ルーツ」
中学生の時にテレビで観て感動した。今回もまた感動した。しかし、長いー。
「あげまん」
何でこんなの借りたんだろ。この言葉って、実はすごく嫌いだったりする。
「やっぱり猫が好き」
すごく好きで、初回から最終回まで観てた。今度全部借りてダビングしよう。
「シン・レッドライン」
良し悪し以前に、興味のないジャンル。退屈で途中で寝てしまった。
「オリエント急行殺人事件」
結末は驚くけど、いかんせん古い。刺激的な映像に慣れてしまった目に退屈に映るのは仕方ない。
「鉄道員」
「ぽっぽや」ではないよ。1951 年公開のイタリア映画の名作。以前ビデオを持っていたけど、改めて感動。
「暴走特急」
似たようなタイトルの映画を何本も観て、どれがどれだか分かんなくなりました。
「タイタニック」
恥ずかしながら初めて観た。素晴らしい! けどちょっと長すぎ。ジャックが手錠をかけられて溺れかけるあたりは必要ない気がする。

 ・・・他にも色々観たけど、もう忘れました。
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2000 年 8 月 24 日 (木)
 はるか昔に卒業した中学校の校舎で、数ヶ月ぶりにかつての恋人に会った。授業を終えて廊下に出ると、隅の方で所在なげに突っ立っていた彼女は僕に気付き、小さく手を振ると笑顔で駆け寄ってきた。僕は久しぶりに会えたのが嬉しくて、僕の肩ほどもない背丈の彼女の頭を撫でた。
 しかし、夢で会う毎に彼女の顔は次第に不鮮明になって、いずれそういう夢すら見なくなる日が来る。
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2000 年 8 月 26 日 (土)
 20 才そこそこのころ、よく小説なんていうものを書いていた。「よく」と言っても完成したのは二本だけだが、そのうち一本は 1200 枚の長編なので、書き上げるのに数年かかった。ところがそれらの作品を収めておいたフロッピーが見つからない。
 そんなことがあって、著しく創作意欲をなくしていたが、最近ちょっと面白い題材を見つけたので、また頑張って書いてみようと思っている。それには色々と取材や下調べが必要で、地元の図書館にも通っているんだが、田舎なせいか蔵書数がとても少なくて、読みたい本が全然見つからない。困ったもんだ。
 ホームページで公開するとは思うけど、完成してから一気に公開するか、それとも連載にするか、まだ分からない。非常に長くなる予定なので。
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2000 年 8 月 27 日 (日)
 楽器購入の顛末を。
 もともと楽器は予算 10 ~ 15 万円の中古を探していた。これは逼迫した財政の中で搾り出せるぎりぎりの金額だ。パソコンなどと違い、楽器は整備さえしていればいつまででも使え、古いからといって性能が劣るわけではないから、最初から新品を買うつもりはなかった (というか、買えない)。
 そういうわけで、インターネットや管楽器専門誌の広告などで色々物色していたが、気に入ったものが見つからなかった。ちなみに候補はバックの 42、コーンの 88H、ヤマハのカスタムまたはプロモデルだった。あとは友人がキングのテナーを 10 万で売ってもいいということだったので、それも候補だった。しかし実際に合奏に加わってみると、やはり F 管は欲しい。テナーは軽いので疲れないからいいんだけど、管弦楽のように何番を吹くか固定しているわけではなくて、トップを吹く時もあれば 3 番とか 4 番を吹く場合もあるので、低い音域に制約のあるテナーはちょっとつらいと思った。しかしバック 42 もコーン 88H も、トロンボーンでは非常に人気のある型番なので、中古でもそれなりにいい値段がついている。特にコーンの場合、古ければ古いほど人気があったりするので、楽器屋で買うのは諦め、ネットのオークションで探してみることにした。
 Yahoo! のオークションではバック 42KG というのが出ていて、その時は締切 6 日前で 9 万の値がついていたので、とりあえず入札してみた。しかし出品した人がオークションというものをよく理解していなかったらしく、ある質問をした時に戻ってきた返事に「・・・まだ手放す決心がついていないので、価格によっては落札されても売るかどうか分からない」と書いてあった。これではオークションとは言えず、Yahoo! の規約違反でもあるので、それを指摘したら出品を取り消されてしまった。最低落札価格というのがあることを教えてやれば良かった (しかし手の届かない金額を最低落札価格に設定されても困るわけで、難しい問題ではあった)。
 次に出品されていたのはコーンの 88H で、1968 年製のヴィンテージものだ。これは予想通り人気が出て、一応入札したけどすぐに 15 万を突破してしまったので諦めた。エルクハート時代のコーンの赤ベルを吹いてみたかった。
 最終的にはヤマハの YSL-6420 という、一世代前のプロモデルを 8 万円で落札した。当時の定価は 20 万くらい。他の楽器はよく知らないが、トロンボーンに限って言えば、ヤマハのプロモデルは鳴りもバランスもいいので定評がある。僕も高校時代の一時期とヤマハ吉祥寺に入って 3 年ほどはプロモデルを使っていて、むしろカスタムより好きだった。鳴り過ぎる、という人もいるけど、カスタムほどではないと思う。教えてもらったところによると、YSL-6420 というのは紐式ロータリーの楽器らしい (後継の YSL-6420II というのから継手式になったらしい)。うーん、紐ロータリーなんて何年も使ってないからなー。結び方を忘れたかも。
 試奏しなくて大丈夫なの? という話もあるが、バランス的なものはそれほど心配していない。トロンボーンは他の管楽器ほどシビアではないし、もともとメーカーが異なればポジションも微妙に違うので、慣れれば平気だと思う。F 管はどこのメーカーも「それなり」だ。セイヤーシステムというのもあるけど、いかにも重そうなので、ちょっと使う気にはなれない。F 管は忙しい所以外はなるべく「使わない」ようにするのがベストなのだ。それよか最も心配しているのはスライド。
 あと、マウスピースは長いことシルキーの 51C4 を使ってきたけど、今回バックの 5G に変えようかと思っている。
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2000 年 8 月 28 日 (月)
 「なる系リンク」のコーナーでリンクさせてもらっている鳴海諒一さんのコラムにも書かれてあったのだが、最近色々な店で買い物をしていて釣銭を渡される時に「ニ段階渡し」されるケースがやたら増えている気がする。特にコンビニなどではマニュアルに書かれているためか、決まって「お先に大きい方から 1、2、3・・・」とやられる。これはレジの入出金を正確に行なうのが第一の目的で、客のことを考えてやっているわけではない。僕も以前アルバイトでレジを打っていた時、釣銭の渡し間違えで集計と金額が合わないことが多く、足りない時はそのお金を弁償させられそうになって、店とケンカになったりしたものだ。足りない時に弁償させるなら、余った時にはその分を寄越せ、というのが僕の主張だった。
 コンビニの店員は若いバイトが多く、彼らは上司から教わった通りの二段階渡し方式を愚直なまでに守っている。ひどい時はお札を一枚ずつカウンターに重ねて「いーち、にーい、さーん・・・」とやられるが、ここまでされると逆にバカにされているような気がしてむかつく。一度受け取ったら足りなくても余っても自己責任の世界なのだから、早く寄越せと言いたくなるが、愚直なバイトの仕事を奪うのも気の毒なので、黙ってお札を数える姿を眺めている。
 銀行員から札勘でも習った方がよほど早くて正確なのに、何でああいうわけの分からないサービスが浸透してしまったのだろうか。きっとコンビニの経営者はバイトや客の大多数をバカだと思っているに違いない。
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2000 年 8 月 30 日 (水)
 今年の冬に、ロシアに一人旅してこようかと思っている。ロシアといってもモスクワなどの内陸部ではなくて、サハリン、つまり昔の樺太だ。新潟からウラジオストックまではフェリーで、そこから鉄道でポロナイスクを目指す。帰りはユジノサハリンスクから函館まで飛行機を利用し、ついでに帰省も済ませてしまう。運賃は調べてないが、フェリーは新潟から二等で片道 25,000 円前後。最近の風潮である航空機の格安チケットは、路線が路線なだけに多分ないだろう。現地の列車時刻や宿泊施設などの情報は非常に少なく、調べるのに苦労しているが、恐らくロシア向けツアーの実績のある数少ない旅行会社や、ロシア大使館に出向いて情報を集めることになるだろう。社会主義国では普通の海外旅行のようにバシバシ写真を撮れるわけではないだろうから、そういったことも事前に確認しておかないといけない。駅構内や列車の車内、公共施設や風景など、もし撮影が許可されていない所でシャッターを切っているのが見つかれば、拘留されて日本に帰ってこられなくなってしまうかも知れない。今のところ、目的地であるユジノサハリンスクには割合まともなホテルがあることが分かった。考えてみれば、わずか週 2 便とはいえ曲がりなりにも国際空港があるのだから、ホテルもあって当然なのだろうが、サハリンは想像以上に貧しい所らしいので期待していなかった。少数ではあるが日本からのツアー客もあるようで、これらの観光客が無闇に市中で買い物をしてしまうと、土地の人の生活に必要な物資が足りなくなってしまうので、ツアコンが買い物の自重を呼びかけるほど物資が不足しているということだ。商店は比較的多く、ユジノサハリンスクにはデパートもあるということだが、多くのウインドウケースは空だったり、食料品も缶詰や干物などが主ということだ。とりあえずホテルがあるなら英語が通じるだろうから、質素かも知れないが温かい食事とビールが楽しめるだろう。もしホテルがなければ、日本製の腕時計でも持って行って、現地の民家に泊めてもらうしかないと思っていたが、言葉が通じないから無理かと諦めていた。サハリンは太平洋戦争の敗戦まで日本の領土だったので、日本語が通じると思っていたが、どうもそうではないらしい。むしろその当時にサハリンやシベリアで強制労働させられ、終戦後もそこに残った朝鮮人の方が流暢な日本語を話すようだ。これはその人たちが朝鮮に住んでいた時、満州国として日本の植民地だったために、強制的に日本語教育を受けらせられていたからだ。
 新潟まで出るのにも一晩かかるくらいだから (新宿始発の夜行の快速を利用する予定)、限られた時間でどれだけのことができるか分からない。特に見たい所があるわけではなくて、強いて言えば日本がどれだけ豊かな国で、安穏とした生活をしているかということを再確認したい、という気持ちはある。地球を見たい、というと大げさだが、荒涼とした冬のツンドラを旅して (亜寒帯か?)、その土地にへばりつくように生活している人々と触れ合ってみたいと思っている。正直言えば、言葉の通じない土地への一人旅は心細い気もするが、中学時代に津軽を旅した時も言葉が分からなくて困った実績 (?) があるし、まあ身振り手振りで何とかなるだろう。ラジオは必携だ。死ぬほど寒いだろうということは今から覚悟している。僕は北海道出身ではあるが、比較的温暖な函館だから、せいぜい氷点下 15℃ 程度しか経験がない。日も短く、夕方 4 時すぎには暗くなってしまうだろうから、心細さもひとしおだろう (ちなみにサハリン地方は GMT+10)。地元の人とウオッカでも飲み交わせば元気になれそうな気もするが、最近は粗悪品が多く、命にかかわることもあるらしいから、むしろ日本製のウオッカを持っていった方が喜ばれるかも知れない。
 ロシア人がよく被っている、しっぽのついた毛皮の帽子は用意してある。お土産はもちろんマトリューシュカだ。以前から欲しいと思っていた、あるロシアの管弦楽曲のスコアも手に入れられれば嬉しいが、これは田舎を回るだけなので多分無理だろう。
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2000 年 9 月 1 日 (金)
 酷暑だった 8 月がついに終わって、早くも 9 月になってしまった。今年の夏はただ暑いだけでなく、とても蒸して大変だった。これからは少しずつ夜勤明けでも快適に寝られるようになるだろうから、ほっとしている。
 ヤマハ吉祥寺に復帰するのは来週からの予定でいたんだが、今週の土曜日は夜勤の最終日なので、よく考えてみると、夜勤の前半 (24 時まで) を遅刻すれば行けなくはないということに気付いた。しかし今週はやはり行かない。10 月 6 ~ 9 日の合宿では仕事を 3 連休するのだが、会社にこの申請をしたばかりなので、あと一ヶ月ほどは大人しくつつがなく過ごさなければ。
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2000 年 9 月 2 日 (土)
 9 月に入って暑さも一段落かと思っていたら、今日も猛烈な暑さでがっかり。いい加減にしてくれ。
 現在 PHS は H" を使っているんだけど、電話料金の引き落とし日が給料日の前の日なので、どうも具合が悪い。一度電話が止まってしまうと、料金を払ってもすぐには復活せず、手続きも面倒で、その間に届いたメールも PHS に転送できずエラーメッセージが返ってしまう。そういうわけで、NTT の PHS に変えようかと思っている。
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2000 年 9 月 3 日 (日)
 最近、犬を飼う夢をよく見る。俺は愛玩動物の中で犬が最も好きだ。中でもアイヌ犬とか柴犬などの日本型の犬が好きだ。しかし北海道の実家を出てからは、アパート暮らしばかりなので飼えない。犬飼いたさに一戸建てタイプの賃貸住宅を借りようと考えたこともあるが、防犯上不安なのと、維持 (草むしりとか) が面倒なのでやめた。
 犬を飼いたい。一緒に散歩に出たりじゃれたりしたい。ここは田舎なので、昔ながらの一戸建ての市営住宅もたくさん残っているし、野原や田畑が多いので散歩の場所にも困らない。場所によっては放すこともできるだろう。
 しかし、放っておいても勝手に出歩ける猫と違い、一人暮らしでは犬は無理だ。普段でも長い時には 13 時間近く家を空けるし、吉祥寺などに行けば 2 ~ 3 日帰らないこともある。餌や水さえ切らさなければ死にはしないだろうが、そんな飼い方では犬が可哀想だ。会社の庭に犬小屋でも作ってもらえれば、一緒にいられるし、散歩にもなるし、社員に構ってもらえて退屈しないだろうが、さすがにまだ飼ってもいない犬の世話を頼む気にはなれない。
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2000 年 9 月 4 日 (月)
 先日、首都高湾岸線の東京港トンネルで、比較的大きな追突事故が起きた。あそこは事故が非常に多いことで有名だが (テレビによれば 2 日に一回の割合だそうだ)、あれだけ事故が続いても何の改良もされない、珍しいトンネルでもある。京葉~京浜を結ぶ物流の動脈であるだけでなく、東京や埼玉から横浜方面に行く人が、狭くてカーブの多い羽田線や横羽線を嫌って、こちらを利用するケースも多い。僕も仕事で運転していた時は毎日のようにくぐっていたが、トンネル内では 3 車線のいちばん右側は滅多に使わなかった。いちばん右の車線では、どの車もかなり飛ばす上に車間も取らないので、トンネルの後半部分で上り勾配になった時に、急に減速しなければならないことが多いからだ。トンネル前半部分の下り坂で加速しようとする大型車が、後ろを煽ったりするので、すごくイヤでもあった。
 普通のトンネルは、両方の入口から中央に向けて緩やかな勾配になっていて、トンネル内で出水した時に、放っておいても出口から排水されるようになっている。しかし東京港トンネルなどの海底トンネルは、海水の水圧や岩盤の崩落に配慮して、海底からの土被り (海底からトンネルまでの土の部分) をたくさん取るために、両方の入口から中央に向かって下降するようになっている。東京港トンネルの場合、その勾配は 40‰だそうだ。これは日本の高速道路で認められている上限の 50‰に近く、かなりの急勾配と言える。ちなみに同じ海底トンネルの青函トンネルの勾配は 12‰で、こちらは新幹線の規格に合わせている。
 東京港トンネルは、あれだけ事故が多いのに、トンネル内に「下り坂」とか「速度注意」といった標識や、勾配表示などがされていない (あるのかも知れないが、気付かないような標識では意味がない)。だからトンネルに入ると、自分の車が水平であるような錯覚に陥ってしまう。高速道路で速度を維持するには、水平な道でもそれなりにアクセルを踏まなければならないが、そのつもりで 40‰ の坂道を降りるのだから、車はどんどん加速する。そうしたところでトンネルの中間点を過ぎると、今度は逆に 40‰ の上り坂に転じる。車間距離を取っていない前方の車が、上りなったことに気付かずに速度が落ちた前車に接近しすぎてブレーキを踏むと、その後ろの車も反射的にブレーキを踏む。ブレーキを踏む度合いは、普通なら前の車より速度が若干遅くなるくらいなのだが、急な上り坂なので、ブレーキを踏むと思ったより速度が落ちる。この相乗効果に 40‰の上り坂が加算されて、団子になって走っている車列の最後部では、予想外に速度が落ちていることがある。加えてトンネルの中は暗いので、ある程度近づかないと、前の車との速度差が分かりづらい。だから、トンネル前半部分で速度が出過ぎていると、みるみるうちに前の車に追いついてしまい (つまり、予想外に自分の車が速くて前の車が遅い)、強いブレーキを踏んでしまう、ということがままあるのだ。
 首都圏の近くだと、勾配や急曲線の多いことでは中央道が有名だ。ああいう区間では「長い下り坂」「速度注意」などという標識が立っていて、これに加えて路面に「三・三・七拍子」の段差がついていたり、道路脇に水平を示す絵が描かれていたり、それはもうしつこいほどだ。ドライバーは急な下り坂と分かっていれば、車間距離を取る習慣がついているから、ああいうのはくどいようでも役に立っている。あれほど事故の多い東京港トンネルにこのような標識が皆無なのは、一体どうしてなんだろう。
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2000 年 9 月 5 日 (火)
 昨日は地元の警察署で免許の住所変更をした。次回の更新までこのままでも支障はないんだが、図書館を利用するのに現住所を証明する書類が必要なので、面倒だったが行ってきた。あと、インターネットが生活に密着するにつれ、国際的な取引が増えてきたので、クレジットカードを作ることにした。
 さて、narumi.org ドメインが無効になって 3 ヶ月も経ってしまった。相変わらず以前のレンタルサーバ業者からは何の応答もない。現在の業者にお願いして、ネームサーバの変更手続きをするよう、以前の業者に促してもらっているが、あまり期待できないようだ。この業界、一度契約が終わってしまうと、何を言ってもなしのつぶてというケースが多いらしい。ドメイン維持費の請求書も届かないので、このままだとドメイン自体が無効になってしまうだろう。一生モノであるはずのドメインの、何と呆気ない結末か。
 narumi.org を放棄して、新しくドメインを取り直すという手もあるので、現在検討段階に入っている。メールアドレスやホームページ URL の変更の手間を考えると非常に気が重いのだが、この際仕方がない。ちなみに narumi 関係の日・米ドメインは既にどれも取得されてしまっている。地域ドメインはあるかも知れないが長いのでイヤだ (こんなもの考えたヤツの気が知れない)。ドメインは短い方がいいので、narumi に拘らずに考えるつもりだが、短いドメインはもっと取りにくいという話もある。その他の国のドメイン (.to とか .cx とか) もあるにはあるが、またこういうトラブルが起こったらと思うと、英語しか通じないのでは躊躇してしまう。支払いも面倒だ。ドメイン維持費は基本的にカードまたは現地の通貨で払わなければならず、米ドルなら郵便局の国際送金小切手 (手数料が格安で迅速発行) が使えるが、そうでないと銀行に行って作ってもらうようになる。この手数料がバカみたいに高い上、すぐには作ってもらえずかなり待たされる。田舎の銀行では取扱い通貨が限られるので、都内の大きい支店に行くことになるだろうが、こうなると、わずかな金額の両替のために丸一日かかった上、交通費と手数料で 5000 円以上というバカげたことになる。
 今回のトラブルで、インターネットでサーバ管理などということを行うには、英語力は必須なのね、ということを改めて痛感した。しかもカタコトではダメで、いわゆるビジネス英語やコンピュータ用語などに通じていなければならん。英語だけのサポートを責めるべきではなく、英語もできないくせにサーバなんか持つな、ということなのかも知れん。そりゃま、インターネットは誰かが管理しているものではないから、やるなら自分で勝手に勉強しなければならんのだが。
 とりあえず、そういうわけで、近いうちに「なるサイト」は URL が変わるかも知れません。変わったらメールでお知らせします。
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2000 年 9 月 7 日 (木)
 最近必ず夜中に目が覚めてしまう。日勤で帰ってきて、テレビを観たり本を読みながらビールを飲んでいると、いつの間にか寝てしまう。そして夜中の 1 時とか 2 時に目が覚めて、それから寝られない。ひどい時は 12 時前に目が覚めてしまうこともある。ビールがあれば寝酒として飲み直すが、ない時は仕方がないからずっと起きていて、そのまま出勤している。ちなみに出勤前にはテレビ埼玉の「ペリーヌものがたり」を観ている。地味だが面白い。
 日勤から夜勤に変わる時は、割合楽に体を調整できるが、夜勤から日勤になる時がうまく行かない。夜勤の時は頭もすっきりしているが、日勤の 4 日間は常にぼーっとして過ごしている。夜勤の方が会社内が静かで、落ち着いて仕事に没頭できるので好きだ。いっそのこと夜勤だけにしてくれてもいいのだが、そうするとたまに彼女と会った時に「寝てばかりいる」と苦情が来たりするので、なかなか難しい問題ではある。付き合っている人もいないのに、そんな心配をしても仕方ないのだが。
(140)

2000 年 9 月 8 日 (金)
 今朝も例によって夜中 2 時ころ目が覚めて、ごろごろしているのもなんなので、風呂場の大掃除をした。コンビニにカビキラーを買いに行き、風呂場に撒き散らしてビールを飲んで待つ。少し経ってからのぞいて見ると、ものすごい刺激臭だった。その刺激臭の中に、いわゆるタマネギの腐ったような臭いが混じっていることに気づく。カビキラーを使ったのは初めてだったので、こんなものかと思いながら風呂場を洗っていた。しかしタマネギの腐った臭いはカビキラーではなかったのだ。うちのアパートはプロパンガスで、アパートの横にボンベを置く小屋があるのだが、そのボンベのバルブが壊れていて、ガスが漏れまくっていたらしい。翌朝、すっかりきれいになった風呂場でシャワーを浴びようとしたが、お湯が出ない。ほどなくガス会社の人が来て、ガス漏れのためガスを止めて、修理作業をすると告げに来た。おーい、あぶねえじゃねえか。煙草をくわえて外に出たりしたら、危うく爆死するところだった。
(141)

2000 年 9 月 9 日 (土)
 ついに narumi.org ドメインが使用不能になった。これは住所変更ができないため、InterNIC のデータベース上の住所に届くはずのドメイン維持費の請求書が来ないからだ。取得した時は郵便局の国際送金小切手を利用して支払ったが、今回は送り先が分からないので、7 月 15 日に期限が切れてそのままになっていた。そのくらいメールで問い合わせれば良さそうなものだが、ネームサーバが有効にならず、利用できないでいるので、どういうことになるか様子を見ていたのだ。ドメインを取得した Network Solutions の web サイトからも支払いはできるが、クレジットカードを持っていないし、また持っていたとしてもネットでカード番号を送るのは少しイヤだ。
 というわけで、narumi.org は放棄して、新しく「narumi.cc」というドメインを取得することにした。ちなみに .cc というのはオーストラリア領ココス諸島のドメインだ。新しいドメインが有効になるには、早くても 2 週間程度かかると思うが、その間に色々と変更手続きをしなければならない。
 友人知人やネット上の知り合い、リンクしてくれている人や、音楽関係知人、メール転送サービスを行っている人など、あらゆる人への連絡もしなければ。とにかくメールします。
(142)

2000 年 9 月 13 日 (水)
 げろげーろ。飲み過ぎだぜ。
 昨日は吉祥寺に練習に行って、練習後はいつものように浴びるほど飲んだ。ガオカが関東大会で落ちてしまったこともあって、佐々木先生が「今日は朝まで飲むぞ」とか言っていたので、そのつもりでいたのに、やっぱりみんな電車のあるうちに帰ってしまった。裏切り者っ。僕は 22:30 過ぎには飲み屋を出ないと、家に帰る電車がなくなってしまうので、南口の「すずめ」に移動して朝 5 時まで飲んでた。ユーフォニウムの「中」氏が朝まで付き合ってくれて、話が弾みまくったので時間の経つのはあっという間だったけど、相当飲んだので店を出るころにはふらふらだった。
 んで、乗り換えでホームのベンチに座っては寝、やっと乗った電車でも寝、行ったり来たりして家に着いたのは夕方 6 時になってしまった。12 時間以上も首都圏をさまよう酔っ払い、なるなる。
 んなこったろうとは思っていたけど。
 あと、今度の合宿先では夜 11 時以降は風呂場が混浴になるということで、みんな非常に楽しみにしているらしい。
(143)

2000 年 9 月 14 日 (木)
 地元の人の会話を聞いたところによると、どうもこの地域ではイナゴを食べる習慣が残っているらしい。どこそこの田んぼには沢山いて、まるまる太ってて美味いとかいう情報も小耳に挟んだ。さすが海なし県。そういや大宮以下いくつかの市が合併して「さいたま市」になる話だが、海のない政令指定都市というのも初めてではないだろうか。昔は指定都市といえば地下鉄を引くのがトレンドだったが、地下鉄の建設にはとんでもないお金がかかるので、もうすぐ開通する「埼玉高速鉄道」は全国の地下鉄で最も運賃が高くなるらしい。恐らく全国の地下鉄のほとんどは赤字のはずで、黒字なのは東京の営団地下鉄くらいのものだと思う。
 合併が決定して、新しい市の名前がどうなるか決まる前、個人的に予想してみたことがある。第一候補は「埼玉市」。これは一つの名前で二つの読みが考えられた。そのまま「さいたま」と読むのと、本来の読み方である「さきたま」だ。ただ、後者のように、県名と市名が同じ字で読みが異なるというのは、ちょっとあり得ない気がした。また、後日聞いたところによると、埼玉の語源となった「さきたま古墳群」というのが行田市にあって、勝手に名前を使うのはまかりならん、というクレームがついたらしい。商標登録しているわけでもあるまいに、縄張り意識が見え見えで実にいやらしい。「彩の国さいたま」というキャッチフレーズがあるので「彩玉」と書くのもあり得ると思ったが、やはり県名と市名が同じ読みで漢字が違うというのもしっくりこない。次に考えたのは「武蔵大和市」。「大和」は大宮と浦和の字を一つずつくっつけただけで、大和市とか東大和市というのが既に存在するので頭に武蔵をつけた。これは同名の駅が多摩湖の近くにあって、行政上は東京都東大和市内なので、かなり紛らわしいかも知れない。いずれにしても、まさか平仮名になるとは思わなかったので驚いた。週末に遊びに出る若者が「横浜行こうぜ!」とか言うのはよくあるが、果たして「さいたま行こうぜ!」となるかどうか。最近は「ひたちなか」だの「あきる野」だの、平仮名の地名が増えたが、どうしてそういう安易な名前をつけるのか解せない。あきる野市は本来の地名である「秋留野」とするべきだと思うし、ひたちなか市だって「常陸那珂 (たぶん)」と書いた方が、歴史的重みが感じられていいように思う。例えば「珂」なんて字は滅多に使わないけれども、「どうしてこのような字を使うのか」「この字にはどんな意味があるのか」「では漢和辞典で調べてみよう」「郷土史を調べてみよう」という風に、好奇心と想像力を働かせるのが学習というものだ。駅名にもそういう傾向はあって、特に国鉄が民営化した後は、親しみやすさを重視してか、安易かつ長すぎる駅名が増えた。新聞などでも、基本的には常用漢字以外は平仮名になっているようだ。沢山の漢字を覚えるのは大変なのかも知れないが、書き取りだけで漢字を教えようとする方が間違っているのであって、ある年齢以降になったら、あとは意味 (字義) を考えて、想像力を働かせて覚えるべきものだと思う。中国人があれだけ多くの漢字を書き取りなどで覚えているはずがないではないか。学校で教える円周率が「3 くらい」になるなど、最近は生徒に負担をかけまいとしてか、授業内容も以前より簡素になっているようだが、そんなことをしても更に一億総バカ化が進むだけだと思うがどうか。
 イナゴの話が思いっきり逸れた・・・。
(145)

2000 年 9 月 15 日 (金)
 レンタルサーバ会社から narumi.cc ドメインが確保できたとメールがあった。ドメイン取得費やサーバ書き換え費用を払った後のことだと思って、のんびり構えていたが、前倒しでやってくれたようで慌ててしまった。narumi.org が使えなくなって、3 ヶ月以上すったもんだしていたのを知っているので、業者が気を使ってくれたのかも知れない。感謝。さあ HTML やら CGI やら書き直さなくては。
(146)

2000 年 9 月 19 日 (火)
 先週は金・土曜日が休みという、絶好の練習日和だったにもかかわらず、一日中激しい雷雨だったので、ついに行けなかった。合宿までは、あと行けるのは来週だけかなー。何ヶ月も前からカレンダーとにらめっこして、参加日は厳重にチェックしていたんだけど、雷までは予想できんかった。
 曲の方もいよいよ煮詰まってきたようで、練習に行っていなくても、メーリングリストのメールが PHS に転送されてくるので、動きが刻々と伝わってくる。客演指揮者は森田先生にお願いすることになったということで、とても喜んでいる。ただ単に森田先生の棒が勉強になるからだけではなく、色々と他にも理由があって、個人的にそうなるよう願っていた。がむばらねば。
(147)

2000 年 9 月 20 日 (水)
 今日は会社で久しぶりに交流 100V の大スパークを見た。
 朝出勤したら、僕の使っているマシンのモニタがぶっ壊れていて、すぐに新品に交換したんだけど、この新しいモニタが 100V にしか対応していなかった。マシン側はドイツ製で、モニタ用の電源は 250V しか用意されていなかったので、電源だけ別のところから引っ張ろうと、延長コードを探したのだが、これが会社中探しても見つからない (延長コードすらない電機メーカーって、一体・・・)。
 そういうわけで、うちの某係長がどこかの装置のコードとテーブルタップを引きちぎってきて、慣れた手つきで結線して、コンセントに差し込んだ途端に火を吹いたというわけだ。どうやら銅線がよじれていたらしい。だいたい結線した裸線を巻くのにセロハンテープを使うのはいかがなものか。小学生の理科実験ではないのである。
 大スパークといえば、日光いろは坂に出没している猿の群れも、たまに柱上変圧器に接触して、周辺に爆発音が響き渡るとテレビでやっていた。あれは 6600V だから、音や煙は 100V の比ではないだろう。驚くのは感電して電柱から落ちた猿が、丸焦げになりながらも生きているということだ。ちなみに俺などはささやかなもので、今まで感電した中で最も電圧が高かったのは 250V だ。これは電気の工事や工作を行う人種としては、まったく取るに足らない経験でしかない。しかも直流だから交流よりも危険度は少ないし、電源回路の変圧器の容量が 40mA しかなかったので、ちょっと涙ぐむくらいで済んだ。自分の見ている前で他人が感電したのは、直流 600V というのがあったが、この人も屈強な男性ではあったが涙ぐんでいた。
 しかし究極のスパークといえば、やはり雷だろう。
(148)

2000 年 9 月 21 日 (木)
 21 日といってもまだ夜中の 2 時前なのだ。新しいドメインが有効になって、ようやく書き換えを終えた HTML と CGI をアップした。もう最近はモニタ見るのもイヤ。ノート買おう。
 更新ついでに、ドコモの PHS の「いまどこサービス」を使って、僕の居場所を表示するコーナーを作ってみた。いまどこサービスは月額料金が高いので、ちょっと試験的にやってみただけ。当然パスワード制限をかけているけど、こんなの使う人はいないでしょう。ていうか、家でごろごろしているのがバレバレになってしまうので、恥ずかしい。
(149)

2000 年 9 月 29 日 (金)
 去年の 5 月に駐車違反でレッカー移動されたことがあったのだが、引越ししてその反則金を払うのをすっかり忘れていたら、警察から出頭するようにとの葉書が来た。あれぇ、とっくの昔に払ったつもりだったのになあ、と思っていたが、レッカー代を払って満足してしまったらしい。あぶねえあぶねえ。錦糸町まで出向くのはかったるいが、逮捕されてはかなわんから行って来る。
(150)

2000 年 10 月 1 日 (日)
 今日出勤したのは奇跡かも知れない。
 昨日は普通の出勤日だったが、ヤマハ吉祥寺の合宿が来週に控えていて、その前に色々確認しておきたいことや、また演奏曲が変更になったりもしているので、午前中で会社を早退して雨の中練習に行った。半日で 2 日分くらいの仕事を片付けて練習に行く途中、乗った電車が前方の踏切に自転車オヤジが侵入したために急停止したり (20 分も電車を止めて怒られていた)、15 分に一本来るはずのバスが 30 分以上来なかったり (交通安全週間で渋滞がひどかった)、初めて乗った都営大江戸線が思ったより深くて階段がきつかったり、朝から何も食べる時間がなかったので吉祥寺駅構内のそば屋でガツ食いしたら吐きそうになったり、とにかく色々あって練習所に着くまでにへとへとになった。俺ももう年だなあ。
 次の日も仕事なので練習後は 22 時ころまで飲んで帰るつもりだったが、やはりというか何というか、結局最後までいてしまい、日本酒などを飲んでべろんべろんになった俺を N 田氏が家まで車で送ってくれた。恐縮至極にござりまする。家に着いたのが午前 3 時で、それからまた少し飲んだりメールを書いたりして、寝たのは 4 時過ぎだった。そういうわけで、今日遅刻もせずに出勤したのは奇跡に近い。
 練習日はいつも飲んだ話ばかりだが、肝心の演奏はどうだったかというと、昨日は僕はとても調子が悪くて、音程が全く安定せず苦しかった。せっかくのトロンボーンの歌いまくりの大ソロが台なしになってしまった。長いブランクがあることや、昨日はかなり疲れた状態で合奏に臨んだこと、遅れて行ったのでウォームアップができなかったこと、買ったばかりの楽器でバランスがつかめていないことなど、色々な原因があるが、要するに練習不足ということだ。このままではトロンボーンパートの足を引っ張ってしまうばかりなので、合宿ではチューナーを使って徹底的に音階をさらわねばならん。
 あと、何年も前にサックスの N 川にあげていた小説が戻ってきた。フロッピーに入れて渡したのだが、その後自分のがなくなってしまって悄気ていたら、引っ越しか何かの時に出てきたと言って、クオークで出力したのを持ってきてくれた。一つは高校時代に、もう一つは 20 才のころに書いたものなので、久しぶりに見ると自分でも恥ずかしくなって困ってしまった。このようなものを他人にあげるなんて、俺も若かったんだなあ。
(151)

2000 年 10 月 2 日 (月)
 合宿というのは、むしろ本番よりも内輪のイベントとしては大がかりかも知れない。何しろ仕事や家庭のある大人が数十名も揃って、数日間に渡って山の中で楽器吹きまくり・酒飲みまくりの日々を過ごすのだから。毎年いちばん楽しみにしている行事だが、いざ始まってしまうとあっと言う間に時間が経ってしまう。それでも最近は「待つのが祭り」という諺どおり、それを楽しみにして仕事に打ち込んだりする余裕もできた。あと夜勤一回明ければ合宿が始まる。
(152)

2000 年 10 月 3 日 (火)
 国勢調査の用紙が郵便受けに入っていたのは知っていたが、田舎の人はプライバシーに対する意識が低いし、どうせ書いてあることを周囲の人に吹きまくるに違いないから、誰が提出などするものかと思っていた。しかし「用紙だけ見ておこう」と思って郵便受けから出してみると、封筒に貼られたメモ用紙に「不在の時はポストに入れておいて頂ければ取りに伺ひます」と達筆な字で書かれてあった。きっと老夫婦が自転車か何かで回収に回っているんだろうなーなどと想像し、突っ張って提出を拒否するのが気の毒に思えてきた。でもポストに入れて外出するのはイヤだなー。直接役所に書留か何かで送れないものだろうか。
(153)

2000 年 10 月 9 日 (月)
 あっという間に合宿が終わってしまった。今年もボロボロになって帰って参りました・・・。
 総合的に振り返ると、3 泊 4 日のうち 3 日めまではかなり調子が良くて、いくら吹いてもあまり疲れを感じないで演奏できた。途中でスタミナが切れてしまっては、曲をさらうにもさらえないので、これは本当に助かった。合宿の始まる二週間くらい前から体調の調整をしていたのと、初日に非常に長い時間をかけてウォームアップしたのが良かったかも知れない。合宿に行く途中、山野楽器に寄って新しいマウスピースを買ったんだけど、実は僕は中学時代にトロンボーンを始めてから、マウスピースを変えるのは初めてに近い。しかも、トロンボーンではそれほど使われていない 52D というヤツなので、どうなるか少し不安だった。でも心配するほどのことはなくて、高音も低音もいい感じでコントロールできたと思う (K 地氏によれば、マウスピースを変えた直後は調子良く感じるものらしいけど)。ほとんど初見の状態で参加したんだけど、とりあえず形を作って帰ってこられたとは思う。
 しかし毎日明け方の 4 時ころまで酒を飲んでいたので、さすがに最終日の今日はとても演奏に集中できる状態ではなかった。音はペラペラで外しまくり。二日酔いと睡眠不足でテンション下がりまくりで、練習したこと全部忘れてしまって、腹筋も唇もガタガタ。こんな状態でも一週間も続ければ煮詰まってくるはずなんだけど、こればかりは勤め人なのでどうしようもないから、毎日バズィングでもして維持するつもりだ。とりあえず今夜はリップクリームを塗りたくって寝る。
 例年、最終日は午前中に全ての曲の通し練習をして、ついでに演奏時間を計ったりしている。それが終わったらすぐにトラックに楽器などの積み込みをして、昼ご飯を食べて帰途につくことになっている。時刻は大体 13 時くらいだ。このくらいの時刻になると中央道は渋滞が始まってしまい、小仏トンネルあたりから都心までノロノロが続き、吉祥寺に着くのは 16 時くらいになってしまう。でも今年は全体的に行動が正確かつ早かったので、河口湖を出たのが 12 時半と本格的に渋滞が始まるには少し早く、吉祥寺に着いたのはいちばん早い人で 14 時半だった。楽器を降ろし終えてから、何人かで「反省会」と称して飲みに行ったけど、明日仕事の人も多く、この数日間でみんなガタガタになっていて、さすがに 19 時過ぎにはお開きとなった。うちに着いたのは 21 時 30 分。武蔵野線で立ったまま寝てしまい、ドアの横で 3 回ほどくずおれてしまった。回りの客が驚いていたので座ったが、その途端に寝てしまって乗り越したので、帰ってくるのに時間がかかった。
 最後の夜の宴会も楽しかった。新人の芸も面白くて、あっという間に時間が経ってしまった。年に一度でも、こういう時間を持てたことに感謝している。みんなありがとうございます。
(154)

2000 年 10 月 13 日 (金)
 俺のバカ。 仕事でとんでもなく間抜けなミスをしでかしてしまった。
 俺が使っているマシンには Windows 3.1 が入っているのだが、必要があって約 10 年ぶりにバッチファイルをいくつか作成した。ところがこれの記述に誤りがあったため、フロッピーに入っていたこれらのファイルを消去しようとして、ドライブの指定を間違えて「c:>del *.bat」とやってしまった。マシンを稼働するのに必要なすべてのバッチファイルを一瞬で消してしまった。もう 10 年近く前に MS-DOS を使っていた時、フロッピーを初期化するのに時間がかかるからといって「a:>del *.*」と打ち込むつもりが、ルートディレクトリが C ドライブのままになっていて、HDD のファイルを全部消してしまったことがある。この時の教訓で「del コマンドでは絶対にワイルドカードは使わない」と決めていたのだが、すっかり忘れてしまっていた。
 初心者並みのダサダサ & バカまる出しの作業ミスですっかり落ち込んでしまった。もう生きるのがイヤになった。
(155)

2000 年 10 月 15 日 (日)
 昨日の練習は仕事帰りだったため、吉祥寺に着くまでに疲れ果ててしまい、思うような演奏ができなかった。おまけに遅刻だったのでウォームアップもできず、却って唇を壊したような気がする。
 今日は吉祥寺で個人練習をする予定だったが、飲み過ぎでアウト。来週は絶対やる。
(156)

2000 年 10 月 16 日 (月)
 昨日は二日酔いのためくたばっていたが、今日は例の駐車違反の件で錦糸町に行かなければならなかったため、家には帰らず三鷹のビジネスホテルに泊まった。家までの往復に 4 時間、4,000 円近い交通費がかかるので、その方が楽なのだ。ヤマハ吉祥寺の K 松さん曰く「そのまま放っておいて、団内初の逮捕者になっても面白いかもよ」とのことだが、それは確かに面白いが、社会生活を営む上で少し困ったことになるかも知れん。
 出頭する用のほかにも、せっかくちょっと足を伸ばせば楽器と練習場所があるのだから、楽器も吹きたかった。なのでこれから 2 時間ほど吹きに行く。現在、もと居酒屋「ばん」だったマンガ喫茶で時間調整中。懐かしい気分だ。また、去年の春まで住んでいた宮城県時代にとてもお世話になった人が、今夜東京に来るということなので、練習後ちょっと飲む。
 さて、話は変わるが、先日の合奏では K 地氏が 1st をかぶって吹いてくれた。本来のパート割りでは、俺の 1st は全て K 田氏とかぶることになっているのだが、あいにくなかなか合奏で一緒になれず、まだ一度もかぶって吹いたことがなかったのだ。とりあえず譜面を追う程度はできるようになったけれど、かぶりがあると、また別の神経を使う。このことは合宿中から予想していたが、K 地氏が同じパートを吹いてくれたお陰で、そのことがよく理解でき、心構えもできたと思う。何の打ち合わせをしなくても、そういうツボを押さえたことをしてくれる友人がいることに感謝しなければならない。
 ちなみに三鷹のビジネスホテルは、ヤマハ吉祥寺関係のイベントの度にちょくちょく利用しているので、勝手は知っているのだが、夜中にビールを買おうと思ってドアを開けようとしたら、ドアノブが壊れていてすっぽり抜けてしまった。ドアノブがなくてはドアが開けられず、部屋に閉じ込められてしまう。仕方がないのでフロントに電話したら、警備の人が見に来てくれたのだが、うっかりドアを閉めてしまって二人とも部屋から出られなくなってしまった。まるでコメディー映画のような間抜けなことになってしまったが、もう一人いたフロントの人を呼んで二人とも無事救出された。
 活動していると色々なことがある。
(157)

2000 年 10 月 17 日 (火)
 土曜日、会社から練習に直行してから、昨日までずっと出ずっぱりだったので、さすがにちょっと疲れが残った。昨日は吉祥寺で個人練習したが、あまりにも曲が吹けなくてイヤになり、途中からはずっと全調スケールをやっていた。ピアノがあったので、スコアを見ながら和音を確認したりもした。部屋は 2 時間取ったけど、じっくりやるとなると何時間あっても時間なんて足りやしない。
 夜は宮城県から来た知人と池袋で飲み、そのままその人と同じホテルに泊まった。今月は経済的に余裕があったはずなんだが、錦糸町で駐車違反の罰金を払い、ホテルに 2 泊もしたので、すっからかんになってしまった。
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2000 年 10 月 20 日 (金)
 太ってしまった・・・。この前、池袋でサウナに入った時に、久しぶりに体重計に乗ってみた。何と 63Kg! これは自己最高記録だ。身長から考えれば、これでもまだまだ痩せすぎなんだが、高校 1 年でほぼ今の身長に達した時からずっと 53 ~ 58Kg 程度で推移してきたので、これには自分でも驚いてしまった。タバコをやめて間食ばかりしていた時だって、60Kg を少し上回ったくらいだったのに。
 原因ははっきりしている。酒の飲みすぎだ。ここ数週間で、目立って腹が出てきた。実は俺はジーパンを買っても裾を切ったり詰めたりしなくてもいいのが密かな自慢だったが、ちょっと最近ズボンがきつくなって窮屈で困っている。昔、父親が「30 才を過ぎたらたちどころに腹が出るぞ。今に見ていろ」などと言っていたが、なるほどこういうことだったのか!
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2000 年 10 月 22 日 (日)
 本来演奏会というのは体調その他の調整を万全にして、心身ともにベストの状態で向かえるものだ。しかし本番が近づくにつれて、テンションが下がる一方なのはどうしたわけか。普通の社会人や一般学生が多い中で、楽隊としての楽しみ方にはそれほど違いはないはずなんだけれど、自分だけ遠く乖離しているような気がしてきて、みんなに「頑張ろうぜ」と言い続けるのが辛くなってきた。今まで、自分が常時参加できる状態であれば、合宿が終わった後から本番までの 2 カ月間ほどは、日曜日や平日の練習をしようと声をかけたり、チラシを作ったりして、楽団全体のテンションを上げるようにしてきた。これは結果として多少は全体のためになったとは思うが、いちばんの理由は「自分が練習しなければ間に合わない」からだった。僕は淋しがり屋で一人で練習するのはもの足りなくもあるし、誰かを誘うことでそれらの人たちの練習にもなれば一石二鳥と考えていた (人によっては一人でさらうことを好む場合あるが)。
 しかしこのような個人的事情を持ちながら、価値観の異なる他のメンバーに対して、どのように接したらいいのか分からなく時がある。年を経るごとに、それぞれの団員の生活環境にも隔たりができつつある。情熱を含んだ、分かりやすい、死ぬまで通用する楽隊同士の共通言語はないものか。・・・と考えればそれはやはり音楽しかないのだった。
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2000 年 10 月 27 日 (金)
 今日は休みなのだ。
 本番に向けてテンションが上がったり下がったりしている。これはいつものことなんだが、ハイテンション状態を本番にぶつけるのが意外に難しい。最近は酒で調整するのに慣れてしまって、他に方法が思いつかない。困ったもんだ。
 来月は仕事の都合上、土日はすべて出勤日で、練習をどうしようか悩んでいたが、人員配置に動きがあるとの噂もあり、逆に予定が立たなくなってしまった。コンサートのほかにも色々あって、大変忙しい (過酷な) 月になりそうだ。もつかなー。
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2000 年 11 月 1 日 (水)
 実を申すと、僕の部屋は今とても大変なことになっている。汚い、どころの騒ぎではなく、床上 30 センチほどまでゴミの山になり、加えて壁側には 100 本以上のビールの空き缶が積まれている。もはや人間が住む限界を超えていて、犬なら「わん」と鳴いてしっぽを巻き、猫なら「にゃん」と鳴いて飛び上がるほどの汚れようだ。
 これは先々月 (9 月) からたまたま土日が休みに重なることが多かったため、そのほとんどをヤマハ吉祥寺の練習に割いていて、部屋の掃除をする暇がなかったからだ。逆に今月は土日の休みが全くない予定だったので、2 日くらいかけて徹底的に掃除しようと思っていた。ところが、とある事情で会社の勤務シフトが急に変わることになり、11 月も土日休みが 4 分の 3 に達することになってしまった。本番 1 ヶ月前であるから、これで心置きなく練習に出られるのは助かるが、掃除の方は 12 月 10 日の本番が終わるまで、時間がなくてできないということになった。むー、あと 1 カ月以上もこのゴミの山の中で生活するのか。このような状態では恋人 (いないですけど) や友人はもちろん、動物さえ部屋に招くことはできん。
 部屋のゴミが溜まっているのは単に掃除を怠っているからだが、大きな原因の一つに「新聞」がある。電車通勤なら出がけにポストから取って、ホームや電車の中で読み、駅のごみ箱に捨てて会社に行く、という流れができるが、僕は自転車で通っているので、新聞を持って出るということがない。自分で希望して取った新聞だが、ほとんどは読みもせずに部屋に放置してあるから、毎日少しずつゴミとして蓄積されていくわけだ。こんなこともあろうかと朝刊だけにしているが、あまり意味はなかった。ちなみに僕はマスコミというものを信用してはいないが、世の中の出来ごとを知るのに最も利用するのは新聞だ。テレビのニュースはショーアップされている上、主観が入りすぎていて、見ていると腹が立ってくる。情報量も少ない。インターネットというのもありだが、わざわざパソコンを起動して、お金を払って回線をつないで・・・、というほど積極的に情報を求めているわけではないので、これは滅多に利用しない。
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2000 年 11 月 2 日 (木)
 明日はヤマハ吉祥寺のトロンボーン奏者、H 永氏の結婚披露パーティーなのだ。なので恵比寿までお出かけしてくる。
 思えば俺が入団したころは、パート内の既婚者といえばバストロの F 垣さん一人だったが、あれから 10 年、みんな売れてしまって、在籍奏者では二人、今年出演する中では何と俺だけになってしまった。
 明日のパーティーはヤマハ吉祥寺を含め、色々な所から音楽仲間が集まって、ライヴ状態のようになるらしい。今から楽しみにしている。
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2000 年 11 月 8 日 (水)
 覚悟はしてたけど、先週の金曜日から数日間は、忙しいのと飲み過ぎなのとで、かなりきつかった。金曜日は我が吉祥寺トロンボーン軍団の仲間である H 永氏の結婚式があり、そのパーティーのため恵比寿に行ってきた。新郎新婦とも交際範囲が広いせいか、140 人ほどいたという参加者の 3 割程度が外国人で、日本語と英語のちゃんぽんの会話が聞けた。バンドの演奏などもあってとても楽しかったが、会場が立食形式になっていて、しかも狭かったので、スタンディングライヴのような感じで、正直少し疲れてしまった。混雑をかき分けてバーカウンターに酒をもらいに行っても、戻ってくるまでに飲み干してしまう、ということの繰り返しで、最後の方ではカウンターに陣取って酒ばかり飲んでいた。パーティーは 19:45 から 22:00 過ぎまでで、そのあと恵比寿の駅前で吉祥寺のメンバー 10 人くらいで飲み、その夜は調布の「むくにょん」邸に帰った。
 帰ってからも何となく寝られず、むくにょんと、その同居人と話し続けていたら、朝の 5 時になってしまった。その日は土曜日だというのに 8:30 から仕事だったので、早めに行っとこうと思って、むくにょんの「いってらっしゃい」の言葉を背に受けて会社へ。2 時間かけて埼玉の自宅に戻り、さっと風呂に入って着替えて、ちょっとふらふらしながら出勤した。しかし、今回の色々な予定は以前から決まっていたことで、そのため体調の調整などをしていたので、現時点ではそれほどきついとは感じられない。
 でも昼休みにはさすがにだるくて、ご飯も食べずに寝てしまった。寝ている時にラッパの A ちゃんから携帯に電話がきたけど、とりあえず電源を切って寝かせてもらった (ごめん!)。午後の始業の 5 分前にこっちから A ちゃんに電話したら、コンサートの演出について 16:30 からミーティングとの由。これはさすがにちょっと無理なので、出られないと返事した。
 17:00 の定時で会社を出て、また自宅で着替えて、再び 2 時間かけて吉祥寺に行く。ちょっと弱気になって「休んじゃおうかな」とも思ったけど、その日の合奏は客演指揮の森田先生が振ってくれることになっていて、早く棒に馴れておきたかったので、頑張って電車に乗った。練習場所の吉祥寺ロフトに着いたのは 19:25 ころ。森田先生の指揮では数回演奏しているけど、とても勉強になるので感謝している。
 練習後は庄屋で打ち上げ。この夜も「むくにょん」とこに泊めてもらうが、前日のように朝まで起きている気力はない。日曜日は朝から合奏の予定だったし、むくにょんも府中のオケの練習があるので、二人ともさっさと寝た。
 日曜日は、すでに準備を終えて出掛けのむくにょんに起こされた。時刻は 9 時。10 時から合奏の予定だったので、超だるいのを我慢して起き、風呂に入り、バス停から吉祥寺行きのバスに乗った。吉祥寺ではドトールでコーヒー飲んで、10 時に 15 分ほど遅れてロフトに着いた。合奏は 2 部の曲全部ということで、裸のソロがある「ソウル・ボサノバ」も練習した。大して難しい曲ではないので、合宿以来合奏していなかった。合宿では僕がソロを吹くことにはなっていなくて、だいいち初見だったのだけど、今回は事前にじっくりさらっておいたので、割合吹けたと思う。
 スケジュールの都合で、佐々木先生が振ってくれたのは 13:30 ころまで。そのあと昼休みとなり、サックスの K 松さんとむくにょんとで昼ご飯を食べた。午後はパート練習になったが、もう体がガタガタで、ほとんど何もできなかった。木管の分奏など見学して、18:00 の終了時刻となった。
 そしてまた庄屋。とりあえず本格的に飲む前に、ラッパの A ちゃん、クラの K ちゃん、タイコの M ちゃんなどと演出の企画の話し合いを済ませておく。最初は酒を飲むような体調ではなかったが、やはり一口飲んだら火がついて、庄屋では 20:30 ころまで飲み、その後場所を変えて 12 時ころまで飲んだ。
 「湯ーとぴあ」に泊まるつもりで荻窪で降り、携帯でメールチェックしたら、仙台の M 山氏 (トロンボーン OB) から「至急連絡乞う」とのメールがあったので、「何事だろう」と思ってその場で電話した。なんと来春結婚するのだそうだ。嬉しくて誰かに言いたくて仕方がなかったらしい。あーまた一人売れてしまった・・・。昔話などで盛り上がり、2 時近くまで話したが、携帯の電池が危なくなってきたので、とりあえず次回に持ち越す。その後「湯ーとぴあ」で風呂に漬かり、仮眠室で寝た。朝は 6 時に起きて、またまたそのまま会社へ。
 月曜日の仕事は自分でもどうなることかと思っていたが、思ったほどきつくはなかったような気がする。それより昨日の夜、仕事を終えて家に帰り、コンサートの演出を考えるため借りてきたオードリー・ヘップバーンの映画を見ていて、眠気を我慢するのがつらかった。あらすじを細かくメモしながら見ていたが、さすがに 2 本が限度だった (「ローマの休日」と「マイ・フェア・レディ」)。多分僕はオードリー・ヘップバーンの映画は「ティファニーで朝食を」しか見たことはないと思うのだが、昨日初めて「ローマの休日」を見て、最後の記者会見のシーンで泣いてしまった。今朝は続いて「ティファニーで朝食を」を見たが、僕は未だにこの映画がよく分からない。
 今日も夜になったら「シャレード」と「パリの恋人」を見る。
 さあ今週も頑張るぞ。
(164)

2000 年 11 月 15 日 (水)
 先週は仕事が忙しく、また風邪気味でもあったので、土・日とも練習は休むつもりだったが、演奏・演出ともに押していて、とても休んでいる場合ではなかった。結局どちらの日も吉祥寺で音楽関係業務に追われた。ただ、土曜日は仕事が忙しくて、仕事を終えてすぐに電車に飛び乗ったが、途中で埼京線が人身事故で止まったりして、合奏には間に合わなかった。飲み屋で演出関係の打ち合わせだけして、あとは午前 3 時半ころまで飲んだくれていた。
 日曜日は昼過ぎからラッパの A ちゃんちで演出関係の制作準備にかかった。今回のコンサートでは「オードリー・ヘップバーン・メドレー」というのをやるんだが、この曲の演出をするのが俺の今回の演奏以外の仕事。詳細は本番を見てもらうこととして、とりあえずパソコンの画像データからスライドフィルムを作らなくてはならなくて、その画像のイメージを煮詰めたり、進行表が書けるくらいまで段取ったりしていたので、結構時間がかかった。加えて A ちゃん所有の PowerMac G4 の調子がすこぶる悪く、色々試した揚句、俺の内蔵 HD を取り付けて起動して、何とか使えるようになった。「オードリー」担当は俺のほか、クラの K 子ちゃんとタイコの N 澤さん、ラッパの A ちゃんというゴールデン・メンバーで、普段は非常に騒がしい女子だが、こういう大事な時は議事進行がスムーズなので、不思議な気分になる。3 人とも忙しかったり、練習づめでかなり疲れているはずなのだが、無理して参加してくれている。結果はどうあれ、これだけ頑張ったら本番後の酒はさぞかし美味しいだろう。
 A ちゃんちでの作業は 17 時過ぎには終わり、K 子ちゃんとは井の頭公園で別れ、N 澤さんとも吉祥寺まで出て別れ、また庄屋に向かった。その日は日曜日の個人練習の音頭を取る人がいなかったのだが、トロンボーンの重鎮・F 垣さんとサックスの N 川が自主的に練習していて、練習を終えた彼らと合流したのだった。今週はたまたま 2 人だったが、個人練習をやるとなると毎回必ず 10 人くらいは集まってくれるので、本当に頭が下がる。不思議なもので、忙しい人ほど時間を割いて来てくれるのだが、考えてみればそういう人ほど時間を作るのが上手で、うまくやり繰りして来てくれるのかも知れない。F 垣さんなど、若い団員から見ればお父さんほどの年齢なのに、毎回ほとんど欠かさず参加して、黙々と最後まで吹いている。
 さて、庄屋で飲んだ 3 人はもう 10 年一緒にやっていて、気心も知れているので、いい感じで酔っ払った。22 時前にはみんな帰途につき、僕も吉祥寺発 22:06 の中央線~新宿から山手線~池袋から宇都宮線という、その日のうちに家に帰れる最後の接続で電車に乗った。しかし最近ちょっと無理しているせいか少し疲れていたようで、池袋で小金井行きの電車に乗って安心した途端、ぐっすり寝込んでしまった。途中大宮で目が覚めて、着ているコートが何だか女臭いのに気づき、「最近女の人と接触してないのに、何でだろー」と考えて、「あーそういえば、A ちゃんちにいる時、N 澤さんが風邪引いてて辛そうだったから、膝にかけてやったんだったなー」と納得したら、安心してもっと爆睡モードに入ってしまった。目が覚めたら栗橋。
 がーん。降りるつもりの久喜を 2 つも過ぎてしまった。今から戻っても伊勢崎線の終電は行っちゃったあとだ。東京まで戻って誰かに泊めてもらうか? しかしそもそも戻る電車はあるんだろうか。がーんがーん。対向ホームの電灯が消えて真っ暗だ。もう戻れない。ここで降りるか、それとももっと先に行くか。あー金おろしてない。あと 1,200 円しかない。タクシーも拾えないし、降りても深夜営業の店に入る金もない。下手にこの辺で降りたら、終電後は駅から追い出されて野宿だ。寒いだろうなー。次の電車で宇都宮まで行っちゃおうかな。でもあまり遠くに行くと戻ってくる電車賃もなくなっちゃうなー。小山で妥協しようかな。一応、新幹線が止まるんだから、金がなくても寒さを避ける場所くらいあるだろう。・・・って、何にもねえじゃねえか、小山って。
 小山駅は立派な駅舎だが、駅前は本当になーんにもない。狭いミニストップが一件ぽつんとあるだけ。結局、駅から追い出されずには済んだが (小山駅は一晩中開いていた)、電灯が消えた駅舎の中で寒さに震えながら、5:10 発の始発を待ったのだった。本番前ということで風邪には注意しているので、体調は悪くないが、一晩中寒い駅舎で座り込んでいたので、腰痛が復活してしまった。うー。
 9 月以降は毎週毎週こんなんばっか。今週は土曜日の練習前に、会場となる杉並公会堂のホール操作員との打ち合わせに同席しようと思っている。日曜日は知人が出演するコンサートが二本入っているが、演出関係のスケジュールが押しているので、どちらも行けないかも知れない。そんな忙しい中で心洗われたのがオードリー・ヘップバーンの名画の数々。演出の企画の必要上、まとめて沢山見たが、どれもこれも素晴らしかった。もう亡くなってこの世にはいない人なのに、熱心なファンになってしまった。本当にオードリー・ヘップバーンはキュートで可愛いねえ。
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2000 年 11 月 18 日 (土)
 本当は 11 日は「なる系」のお友達、なるるが主役のオペラを聴きに広島に行く予定があったんだけど、15 日の日記にこと細かく書いたような理由で、結局全くそのような時間が取れなかった。秋以降、本当にヤマハ吉祥寺関係のことしかしていない。最近少し忙しすぎて、げんなりしてきていたりする。
 今日は練習前に 16:00 から杉並公会堂のホール操作員との打ち合わせに同行する。演出関係で照明等を駆使する予定なので、色々と確認事項があるのだ。あー腰が痛い。夜勤明けなのでちょっと辛いっす・・・。
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2000 年 11 月 24 日 (金)
 宮沢大蔵大臣以下、大蔵省官僚は全員バカなのではないだろうか。発泡酒に続いてワインにも増税案が浮上したということだが、この時の宮沢大蔵大臣の言い分は「嗜好品だから取りやすい」だそうだ。手前らがこれほどの借金大国にしておいて、取りやすいとは何ごとか。借金漬けのダメ親父が、自分の子供に金の無心をするのと何ら変わりはない。会社勤めをしていると、自動的に税金が引き落とされてしまうが、そうでなければ誰がこんなヘボい使い方しかできない国に税金など払うか。
 発泡酒が売れているのは、発泡酒がうまくて根強いファンがいるからではない。まずいけどビールよりは多少安いから、家計のために仕方なく飲んでいるのだ。ビールと同じ値段だったら、好き好んであんなもの飲む人はいない。発泡酒の税率が上がって、もしビールと同じような値段になったら、売り上げは極端に減るだろう。そういうことを官僚は知らないんだろうか。それともビールと発泡酒の味の区別もつかないほど、味音痴なんだろうか。
 一方、ワインというのはとても種類が豊富で、価格帯も数百円から上は無限大まで色々ある。恐らく、日本で手に入る酒類の中で、最も安く、かつうまい酒ではないかと思う。イメージ的にも洗練されていて、焼酎のようなオヤジ臭さがない。「毎日ワインを飲んで寝る」というと何だか洒落た生活のイメージだが、寝酒に焼酎となると、アル中一直線という感じがして胡散臭い。
 老若男女に広く親しまれた酒の税率を上げるというのは、人々の心からオアシスを取り上げるようなものだ。社会生活の中で様々な軋轢と闘っている大人たちにとって、酒は嗜好品というよりは生活必需品である。むしろ酒税は下げた方が国民の勤労意欲が湧いて、景気対策になるかも知れない。少なくとも俺はその方が働く気にはなるね。
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2000 年 11 月 28 日 (火)
 疲れがたまってしまったせいか、昨年冬に続いて吐血第 3 弾。酒の飲み過ぎだ。コンサート終わったら、ゆっくり温泉にでも浸かろうっと。海辺の温泉が良いな。刺身てんこ盛りで。
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2000 年 12 月 14 日 (木)
 演出の準備や日曜日の練習などで、あまりにも忙しかったので、オードリー係のメンバーと「コンサート終わったら、しばらく寝込んじゃうかもね」と冗談半分で話していたが、本当に寝込んでしまった。ずっと風邪を引いていたのだが、本番が終わって気が抜けたらしい。
 そういうわけで、全快したらまた復活します。
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2000 年 12 月 19 日 (火)
 コンサートが終わり、再び平和で退屈な日々が戻ってきた。
 前回出演したのが第 14 回、今年は第 18 回ということで、4 年ぶりということになる。去年の第 17 回を除けば、ステージマスターなど何らかの形ではかかわっていたのだが、すっかり親しくなった団員が、実は一緒に舞台に立つのが初めてだった、というようなケースもあって、新鮮なコンサートでもあった。
 16 日は「練習納め」で、その後、退団する団員の送別会と忘年会を兼ねて飲んだ。4 次会まで行って時刻は朝 5 時。それから埼玉まで帰ってきて、そのまま出勤というコースで、あまりにもかったるくて午後 3 時で早退してしまった。その飲み会の時に、サックスの N 川に、今年の俺は今までと違うようだと言われた。実は俺もそんな自分に気づいていて、そう言われて少し嬉しい気がした。長いこと一緒にやっているだけあって、見ている人は見ているものだなと思った。
 俺が入団したころの吉祥寺トロンボーンのメンツは、重鎮のバストロ奏者 F 垣さん以外は全員独身だった。俺自身は 23 才、よき友人である K 地氏や K 田氏は 20 才だった。若かったのでみんな元気で、平日にパート練習をやったり、無理な飲み方をしたりしても回復が早かった。回復が早かったのは、楽しかったからでもある。現在も、年齢が 10 才ほど増えただけで、当時とほとんど同じメンツだ。付き合いが長いから気心が知れていて吹きやすいが、今では俺以外のメンツは全員結婚してしまった。他のパートでも、そういうケースが見られるようになった。
 飲み会で昔と同様に騒いでいても、彼らは一定の時刻になると、家族の待つ家に帰って行く。団内でも積極的で熱心と言われているトロンボーンだが、それでも「仕事」や「家庭」の事情があれば、練習を休むこともある。それは社会生活を営むうえで避けられないことだから、お互いの立場を尊重するのがルールだ。しかし俺にはそれがない。練習を終えて、仲間と鍋などつつきながら美味い酒を飲み、店が閉じて冬の寒空の下に放り出されても、俺には帰る家がない。暖房や寝床の備わった部屋はあるが、それは「ハウス」であって「ホーム」ではない。だから、一緒に楽器を吹いたり酒を飲んでいても、実は自分の横にいるのは別世界の人なのではないかと感じて、とても淋しい気持ちになることが増えた。
 色々と考えるところがあって、今年は日曜のパート練習を主宰したり、オードリー係の仕事に集中するなどして、音楽活動に全力投球した。その理由は、そうしてがむしゃらにやっていれば、仲間と「ファミリー」になれるのではないかという気がしたからだ。結婚しているわけでもなし、血縁関係でもなし、そんなことにはなれっこないのは分かってはいるんだけれど。
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2000 年 12 月 21 日 (木)
 気づいてみれば 20 世紀もあと 10 日。今年もあと 7 回ほど出勤すれば終わる。
 先日のコンサートで使う予定だった「オードリー」関連のスライド用画像ファイルは、曲と一緒に Director でムービーを作って、CD に焼いて配付しようかと思っている。あらかじめ素材があって、それを切ったり貼ったりするビデオ編集などとは違い、舞台照明などは一からグラフィックを起こして再現しなければならないので、かなり手間がかかるだろうなあ。ていうか、そもそも俺はまだ Director を使ったことがないのだが。団長が言ってたように、一度火がついたオードリー係はそう簡単には死なんのだ。
 20 世紀フォックス社は 21 世紀になっても社名は変えないんだろうか。
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2000 年 12 月 27 日 (水)
 クリスマス・イブは吉祥寺でヤマハのメンバーで飲んだんだが、体調が悪かったせいか、久しぶりにゲロを吐きまくって散々だった。とは言っても、俺はヤマハに入ってからというもの、吐く時はきちんとトイレに入ってるので、人前でやったことは一度もない。しかもそのトイレだって使用前よりきれいになっていたりするのだ。
 あとは年内は職場の忘年会くらいで、予定はもうない。
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2000 年 12 月 28 日 (木)
 大手や官庁は今日や明日あたりから休みなのに、29 日まで仕事なんてだるいとは思うが、仲間の中には正月ほとんど休みのない人もいるんだから、我慢しなければいかん。
 以前は暮れともなると、毎年シリーズ化していたオリジナルの年賀状作りに忙しかったが、ここ数年は年賀状を書かなくなった。去年も一昨年も、その前も、来た人への返事以外は全く出していない。確か最後の年賀状は、河口湖の合宿で裸踊りをしていた写真を印刷したものだったと思う。誰に出したか覚えていないが、もしかしたら佐々木先生にも出したんだろうか。親には出したと思う。冷静に考えると自分という人間がかなりバカだということに改めて気づく。
 裸踊り賀状が恥ずかしくてやめてしまったわけではないが、今のところは普段会っている人 (ほとんどヤマハ関係だけど) には直接「良いお年を」の挨拶を済ませられるし、新年になったらまたすぐに会って飲むのだから、改めて書くほどのことでもない。書くとすれば、普段会えずにいる人に無沙汰を詫びるくらいだと思うが、普段会わない人というのは、多分これからもあまり会うことはないだろうから、つい億劫になって「さくらメール」とか「かもめーる」にしておこうと先送りしてしまう。
 ところでお年玉をもらわなくなってからもずいぶん経った。うちは雇用契約上ボーナスが出ないので、今は「お年玉」に相当する収入がないから淋しい。淋しいだけではなく苦しい。
 年始回りなどというものもしたことがないが、今回もしかしたら知人の家にお邪魔するかも知れない。そこで思ったのだが、子供のいる家庭にお邪魔する時、普通は「お年玉」をどうしているんだろうか。家族や親戚なら「どうでも良い」という結論がすぐに出るが、他所には他所の教育方針があるだろうから、必ずしも喜ばれるわけではないだろう (子供は喜ぶだろうが)。むしろ困惑される可能性もある。それでは図書券にしておこうとも思ったが、これは俺自身が子供の時に、父の同僚がくれたお年玉袋に図書券が入っていて、非常にがっかりした記憶があるので、あまり気が進まない。うちは父親の仕事柄なのか、子供にとっては有り難くないそのような配慮をする人が多かった。だがしかしその図書券で本を買って読んで、その後色々なことに興味を持てたのも事実だから、やはりいい贈り物なのかも知れない。
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2000 年 12 月 30 日 (土)
 今年もいよいよ明日一日を残すだけとなった。
 今年は色々なことがあったが、全体的にはとても楽しい一年だったと思う。その「楽しいこと」のほとんどは、第 4 四半期、つまり 9 月以降に立て続けに起こった。この前のコンサートまでは超多忙で死ぬかと思ったが、これもいい思い出になるだろう。コンサート後も、忘年会だのクリスマスだのと飲み歩き、正月休み中も多分また飲む。このノリはきっと来年以降も続くだろう。色々あるが、とりあえず楽しいことはいいことだ。
 先日は憧れの「みかみか」が戻ってきて、携帯に電話してくれた。正月休み中に会えればいいなあ。まあとにかく嬉しいやら楽しいやらで、こんな幸せな気分で一年を終われるなんて、すごいことだよなあ。
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